Holy Ghost Disturbance
シーンC
 一方的な展開になった。
 遠距離からの、高速砲撃。弓も魔法も、届きはするが、装甲に阻まれて、通らない。徒に、死人と怪我人だけが増えて行った。
「くそ」
 エルシュリクの銅像跡の台座に身を潜めたリーブが舌打ちする。
「どうすればいい」
 答えられなかった。うまい考えなど、ありはしない。魔法が使えればまた別だろうが、根本的に魔力切れだ。強引に発動させたところで、火力が足りない。
 台座の影から顔を出し、様子をうかがう。
 見切っちまったか。
 蜘蛛が、前進を始めていた。こちらの戦力では、有効打は打てないと見切りをつけたらしい。悠然とした足取りだった。
「リーブ、撤退しろ、全員だ」
「馬鹿を言うな」
「残ったところで変わらねぇさ。後退して、学校に残ってる連中を逃がしてくれ」
 最後の言葉で、こちらの意図は読めたらしい。リーブは目を見開いた。
「残る気か」
「俺が連れ込んだみたいなもんだからな。俺がやんのがスジだろ?」
 勝てないにしても、多少の足止めは出来るだろう。
「さっさと行け」
 そう告げて、台座の陰から足を踏み出した。
 気づいたらしい。蜘蛛は、右手に携えていた筒状の武器の先端をこちらに向けて来た。
 斜め前方に跳び、ばらまかれた光弾の群れから逃れる。
 どこまで、行けるかね。
 蜘蛛の呼吸を読み、砲撃を外しながら、距離を詰める。大剣の間合いまで。やりおおせる自信は、正直なかった。ほんのわずかでもタイミングを読み違えれば、それで終わりだ。
 一気に踏み込みたい衝動を抑えて、ゆっくりと、足を運んだ。速度を上げ過ぎると、撃たれた瞬間の反応が間に合わなくなる。
 二射目。
 一発、足に食らった。
 幸い、肉だけだ。動けなくなるほどではない。呪いの御陰で、痛みと意識を切り離すことには慣れている。構わずに、距離を詰めた。
 三射目。
 一部を大剣で受け止め、外す。距離は、約二十歩。あと十歩、距離を詰めれば、なんとかこちらの射程内だろう。
 その思考が、命取りになった。
 四射目。
 砲の先端が静止した瞬間、外せないとわかった。逆に、呼吸を盗まれた。跳躍のためのバネの伸び切った瞬間だった。動いても、蜘蛛の射界からは、逃げ切れない。頭ではわかっていたが、反射的にステップを切っていた。
 だが何故か、痛みは、襲いかかって来なかった。
 蜘蛛は、既に発砲している。完全に、捕捉していたはずだ。外すわけがない。
 そこでようやく、軽い痛みを感じた。上着の胸元に、丸く、小さな焦げ跡がついていた。
 当たってはいたらしいが、極端に、威力が低下していた。
 こちらと同様、事態が読めていないらしい。蜘蛛が、周囲を見渡した。その視線が、ぴたりと止まる。
 風上の方角、巨大な布袋を手にした老人の姿があった。実習用の、低純度の屑銀の粉末をぶちまけたらしい。理屈はわからないが、それが、砲のエネルギーを減衰させ、威力を抑え込んようだ。
 老人は、鋭い表情で、蜘蛛を見返す。
「こっちじゃ、アーキス」
 そう告げたかと思うと、踵を返し、駆け出した。
 ちょっと待て。
 学校から引き離すつもりかと思ったが、まっすぐ校内へと踏み込んで行く。追おうと思ったとき、横合いから声がかかった。
「止めんでええよ。作戦やから」
 振り向くと、ベルクトが居た。右目の部分に、包帯を巻いている。
「アリスタから伝言や、校庭の、第七実習魔方陣に、あれをほうり込め」
「第七?」
 実習時の安全確保のために引かれた、転送魔法用の補助魔方陣だ。
「なんか、槍を飛ばして上から落とすとかゆうてたけど」
 そう言って、ベルクトは小首を傾げた。
「正直、ようわからんかった」
「わかってから来い」
 さすがに呆れた。まぁそれでも、一応、アリスタの算段は理解出来たが。
「アタマ悪いんや、じぶんで呆れるけどな。やっぱり、死んでも直らへんみたいや」
 のほほんとした口調で言いながら、ベルクトは懐を探る。小さな薬瓶をひとつ取り出した。
「こっちは爺ちゃんからや。飲んどき。痛み止めやて」
「魔力切れだ。飲んでも意味ねぇよ」
 感覚が鈍るだけ損になる。
「使えへん兄ちゃんやな。魔法使いやろ? 剣振り回してどないすんねん」
「うるせぇよ」
 不機嫌に応じたが、何処吹く風と言った表情で、ベルクトは首をひねっていた。
「じゃあない。貸したるわ」
 のんびりとした口調で呟くと、片手を地面に向けてのばした。
「ミヅチ」
 ぴしりと音を立てて、地面に小さな亀裂が生じる。そこから、水が湧き出した。それはそのまま、奇妙な形をとり、鎌首をもたげる。
「なんだ、そりゃ」
 一言で言えば、水で出来た、巨大な蛇。水精の亜種だろうが、こんなものが存在するとは、聞いたこともない。
「ミヅチ、水之霊、ウンディーネとかの親戚や。兄ちゃんに貸したる。魔力は、こいつから借りればええ」
 ベルクトがそういったかと思うと、ミヅチは食いつくような勢いで、こちらに飛びついてきた。
 そのまま右腕と、手にしたままの大剣に巻き付く。
「おい」
 こんなので、どうしろってんだ。
 問おうとしたが、口を開く前に、理解出来た。恐ろしく強い魔力が、大剣に注ぎ込まれている。
「足りひん?」
「いや」
 量的には、全く問題ない。質のほうも、自分で捻り出した時より安定しているだろう。
「充分だ」
「ほな、ええな」
 そう言って、ベルクトは薬瓶を投げてきた。蓋を取り、喉に流し込む。ひどく、腹にもたれそうな味が口の中にひろがった。
「行こか」
「ああ」
 うなずき返して、校庭へと飛び込む。
 誘い込んだはいいものの、警戒したらしい。蜘蛛は入ってすぐのところで足を止め、植え込みに向かって糸を吐いていた。姿は見えなかったが、ティキを引きずり出そうとしているようだ。
 無防備な背中へと、ファイアボールを撃ち込んだ。
 痛み止めの効きが速いらしい。魔力を絞り出すプロセスを精霊に任せていることもあり、無痛とは行かないが、大分楽に術を絞りせた。
 景気良く炸裂したが、やはり、効きは良くない。衝撃で一瞬硬直はしたが、焦げ跡ひとつついていなかった。
「生半可じゃ、通じひんて」
 そう告げたベルクトは、振り向いた蜘蛛を、落ち着いた表情で見上げた。数秒の沈黙のあと、片手を上げる。その手のひらを起点に、静かに、空気が渦を巻いた。
 どちらも、ほぼ同時に動いた。
 蜘蛛が、糸を放つ。発射圧が高いらしい、巻き取るのではなく、撃ち抜くためのものだ。糸というより、鋼の針に近い。
 それより一瞬速く、ベルクトも精霊の召喚を終えていた。
「ノヅチ」
 無色透明だが、巻き上げた砂塵の御陰で、ぼんやりと輪郭が見えた。また大蛇だった。今度は、風精の亜種らしい。
 烈風と砂塵を巻き上げた風蛇は、殺到する糸を弾き飛ばして、正面から、蜘蛛に食らいついた。風圧が炸裂し、衝撃波と砂礫を撒き散らす。
 立ちのぼった砂塵が、視界を灰色に染めた。
 ベルクトの嘆息が聞こえた。
「あかんみたいや、来るで」
「らしいな」
 金属音が近づいて来るのを感じた。古代語魔法で言えば、上級並の威力のはずだが、さしてこたえていないらしい。
 気配を頼りに踏み込み、大剣を、横薙ぎに振った。
 捉えたが、阻まれた。
 予想はしていたが、装甲が厚すぎる。こちらの得物も、強度なら負けていないが、根本的に腕力が足りない。前脚をわずかにへこませるのが関の山だった。
 さすがに無傷ではなかったらしい。さっきまでは聞こえなかった、金属の擦れる不協和音を立てながら、騎士部分がブレードを振り下ろす。
 受けられる速度だが、付き合わないことにした。
「テレポート」
 亜空間へと潜り、斬撃をすりぬける。そのまま、蜘蛛の背後へと抜けた。
 振り向く前に、次の呪文の詠唱に入る。
「さっきも効かへんかったやろ!」
 ベルクトが叫んだ。紡いだ呪文はファイアボール、さっきと同じ、炎の下位魔法のものだ。確かに、通じないだろう。
 普通では。
 呪文は同一だが、イメージ構築はかなり特殊な形式になる。ベルクトの言葉を無視して、意識を収束した。
 投射の直前までは、さして難しくはない。
 一番の問題は、投射精度だ。
 蜘蛛のほうに向き直りながら、魔力を通した左手を上げた。
 ほぼ同時にこちらに向き直っていた蜘蛛の、騎士部分の根元を指さした。
「ファイアボール」
 限界まで圧縮した魔力を、暴発寸前のタイミングで解放し、撃ち出す。
 少し狙いがそれたらしい、騎士部分の腹の真ん中に、人差し指の直径と同じ大きさの穴が穿たれていた。
 事態が飲み込めなかったらしい。困惑したように、蜘蛛は動きを止めた。
 その間に、二発目の詠唱に入る。
 思いつきの呪文だが、そう悪くない。
 圧縮加速型ファイアボール。
 熱量を圧縮、加速することで貫通力を高めた変形呪文だ。ティキから光学砲の話を聞いていて、思いつき、試してみたが、威力は充分だった。
 難点は、命中精度と安定性だ。長い年月をかけて洗練されてきた術式を、わざわざ壊して撃っている以上、どうしても不安定になってくる。
 暴発は最初から覚悟の上だが、着弾も安定しないようだ。近距離でないと、使い物にはならないだろう。
 蜘蛛が、糸を撃つ。
 大剣で撃ち払いながら、二発目を撃つが、外した。
 前脚をかすめて、そのまま後脚の隙間を駆け抜けて行った。
 急所を直撃すれば、致命傷になると理解したようだ。今度は蜘蛛のほうから、距離を詰めてきた。巨大なブレードを振り下ろす。大剣で受けたが、後悔した。
 両肩が、嫌な音を立てて軋んだ。痛み止めのお陰で苦痛はなかったが、たぶん、関節を痛めた。膂力が違い過ぎる。力で張り合えば、一方的に潰されるだけだ。
 続いて撃ち込まれた斬撃を、大剣で弾くようにして外す。
「兄ちゃん、どき!」
 ベルクトが叫んだ。
 なにか仕掛けるつもりのようだが、余裕がない。テレポートを使えば速いが、あまり乱発はしたくなかった。
 あれしかねぇか。
 アリスタから借りた禁書の知識を、頭から引っ張りだして、呪文の詠唱に入る。
「魔界神ヴァティスよ」
 よく聞こえるように、一言一言正確に発音する。
「魔界神ヴァティス、我に力を」
 なんの呪文か、わかったらしい。蜘蛛の動きがわずかに鈍った。
「御身の力を以て、我が敵を灰燼と帰せ」
 口元を歪めて、片手を上げる。
 そのまま、呪文の結びの言葉を紡いだ。
「ディザウム」
 詠唱しただけだ。
 意識の集中もしなければ、神への祈願もしていない。当然、なにも起きない。
 ただし、適当に魔力を上げて、偽装はかけておいたから、なんとか引っかけられた。
 最後の言葉の瞬間、ぴたりを動きを止めた蜘蛛に「阿呆」と言葉を投げて、間合いを外す。
 一瞬だけ、ベルクトのほうに目を向けた。
 三体目も、蛇だった。雷の精霊らしい。腕に巻き付く形で、電光の蛇が実体化していた。
 少女の口元が、小さく歪んだ。
「ほな、行こか、イカヅチ」
 青白い光が、うなずくように揺らぎ、疾る。
 大気を灼き、轟音と、熱風を撒き散らして。


 この距離でも、頬を打たれたかと思うような衝撃を感じた。至近距離ならば、鼓膜が破れていたかもしれない。
 バケモノか。
 エイセルもそうだが、あまりにも常識外れ過ぎる。二人だけで、蜘蛛を屠りかねない。
 どうする?
 続けるべきか、迷った。
 魔槍を使ってしまうと、あとの処理が面倒だ。存在するだけで、周囲を溶鉱炉に変えるような代物だ。再封印の手間を考えれば、使わずに済ませたほうがいい。
 魔槍に絡められた、封印用の鋼糸を切っていたナイフを、無意識に降ろしていた。
 背中に、声がぶつかった。
「なにをしておる? そろそろじゃ、間に合わなくなるぞ」
 ティキだった。
「必要ないでしょう」
 エイセルの呪文が、急所、たとえば頭を撃ち抜けば、終わりだ。
「彼ら二人で、充分こと足ります」
 だが老人は、首を左右に振った。
「足りぬよ。やれるはずがあるまい。自分で、自分の命を断ち切ることなど。いつ消えても構わぬなどというておるが、口先だけじゃ、死が恐ろしくない者など、おるはずがあるまい。必死で、戦っておるんじゃよ。自分自身の、恐怖心と。エイセルが判っておれば、確かに任せても良かったんじゃがの。生憎と、何も知らぬ」
 そう告げると、まっすぐに、こちらの目を見据えてきた。
「酷なことを言っておることは、わかっておる。じゃが、お主しか、居らぬのじゃよ。あの娘を、救ってやれるのは」
 確かに、酷なことを言う。
 まったく。
 軽く、嘆息した。
 どうでも自分に、終わらせて欲しいらしい。
「わかりました」
 短く応じて、短剣をあげた。
 老人の言う通り、ベルクト自身に手を下させるわけにも、何も知らないエイセルに背負わせるわけにも行かない。やれるのは、自分だけだ。
 自分が、終わらせるしかない。
「出ていてください」
 魔槍の封を切れば、部屋中火の海になる。障壁は張るつもりだが、並行して転送魔法を使う手前、二人分の領域を確保するのは難しいだろう。
 すんなり納得したことで、かえって戸惑ったらしい。なにか複雑な表情を浮かべている老人に、再度声をかけた。
「お早く」
「うむ」
 なにか、思うところでもあるようだ。どこか沈痛な表情を見せたまま、老人は倉庫を出て行った。
 最後の鋼糸を切る手前で、一度手を止め、倉庫の扉を開け放った。
 校庭までの視界が開け、蜘蛛と切り結ぶエイセルの姿が見えた。
 剣のほうが本業のようになっているらしい。魔法が使える状態でも、白兵戦に持ちこみたがる癖が抜けないようだ。
 気づいたらしい。
 ベルクトの視線が、こちらを向いた。
「はじめるぞ」
 静かな口調で、そう告げる。
 声までは届かない距離だが、わかってくれたようだ。ベルクトは小さくうなずいて、エイセルのほうに何事か叫んだ。
 そのまま再び、風の蛇精を呼び出した。烈風が、渦を巻く。
 ぎりぎりまで粘る腹のようだ。気配は感じているはずだが、エイセルは離脱しようとはしなかった。その場に踏みとどまったまま、蜘蛛の斬撃を受け流し続ける。
 頃合いだ。
 こちらも、最後の鋼糸を断ち切った。
 束縛を解かれた魔槍が瞬時に白熱し、空気を焦がす。その熱量を障壁魔法で受け止め、転移魔法の詠唱に入った。
 平面移動だけならば、そう難しくはない。元々転移魔法の補助用に刻まれた魔方陣が目標だ。多少のズレは、魔方陣のほうが補正してくれる。問題は、高度のほうだ。一撃で葬るには、熱だけでなく、運動エネルギーも乗せてやる必要がある。
 考えて、思いついたのは、単純で、出鱈目な策。
 ある程度の高度に転移させ、落下速度で撃ち貫く。
 実際、博打もいいところだ。飛ばすのは魔界のアーティファクト。帯びた魔力がどう干渉するかわからない。
 先に、出口を開いた。
 よし。
 雲の高さで空間が歪み、黒い円盤状のゲートを口を開く。ここまでは、理屈は小石の転移と変わらない。さして苦労もなかった。
 問題は、槍のほうだ。
 予想どおり、激しく抵抗した。無理やり跳ばすことはできるが、大分、手間を食いそうだ。
 間に合うか。
 そんな危惧が脳裏をよぎった瞬間、ベルクトが、エイセルの背中目がけて、蛇精を解き放つ
 速すぎる。
 魔方陣に叩きこむつもりだろうが、タイミングが速すぎる。転移が完了する前に、逃げられる。
 だがここまで来て、中断することも無理だ。力ずくで飛ばそうとしたお陰で、魔槍に敵視された。ここで詠唱をやめれば、自分が灼き殺されることになる。
 目の前が、暗くなるのを感じた。
 烈風が蜘蛛を捕捉し、吹き飛ばす。
 気づけば、エイセルの姿が消えていた。
 直撃の寸前で転移したらしい、放物線を描いて宙を舞う蜘蛛より先に、魔方陣の奥に姿を現す。
 亜空間の中で、呪文を捻り出していたらしい。左手から、強い魔力を放っていた。
 何?
 本人が苦手だと言っていた呪文のはずだ。一瞬、脳裏に疑念がよぎり、、理解した。
 間に合わせて、くれるらしい。
「いい加減に、従え」
 最後の魔力を絞り出し、魔槍を締め上げる。殴りつけるようにして、空間の狭間へ沈めた。

 加減が問題だ。
 ミヅチの御蔭で魔力不足の心配はないが、強すぎれば途中で止まり、弱めすぎれば行き過ぎる。
 こんなとこかね。
 亜空間の内部で詠唱を初めていた呪文を、つぶやくような調子で締めた。
「メガスプラッシュ」
 超低温と、旋風の呪文。どちらかと言えば苦手な系統だが、ノヅチの放つ暴風を受け止め、かつ蜘蛛を固定できる呪文となると、これしかない。
 大気の水分を凍結させながら迸った、白い烈風が、蜘蛛を挟み込む形で、ノヅチとぶつかり合った。
 強すぎか。
 風圧はおさえたつもりだったが、まだ強すぎた。
 放射角度を広げ、圧力を落とした。
 けたたましい音を立てて、蜘蛛が落ちた。最初に地面に触れたのは、魔方陣よりわずかに手前。ひやりとしたが、慣性が残っていたらしい、そのまま砂煙を立てて滑り、魔方陣の中で止まった。
 どうだ?
 装甲表面に霜は浮いているが、どれだけ効いているかはわからない。ほうりこんだあとは、固定してやる必要がある。そのためのメガスプラッシュだが、苦手分野の上に、元から魔法が効きにくい相手だ。
 やはり、動いた。
 半凍結状態で、だいぶ鈍ってはいるが、動けるらしい。魔方陣に爪先を食い込ませるようにして、身を起こす。
 暴発覚悟で、もう四五発、圧縮型を撃ち込んでやるしかないようだ。
 再び詠唱に入った瞬間だった。
 蜘蛛の光学砲が動いた。
 本能的に、身を翻す。その場に残った上着の裾に、小さな穴が三つ、穿たれていた。
 大気をかきまわし過ぎたらしい。ティキがばらまいた銀粉も、ほとんど散ってしまったようだ。
 詠唱を停止し、大剣を構え直す。
 光学砲が復帰すれば、距離は外せない。近接戦闘を続けるしかなかった。
 舌打ちをして、距離を詰めた。
 だが、こちらの踏み込みより速く、蜘蛛に食らいついた者がいた。
 青白く光る大蛇。蜘蛛の腹に牙を立て、絡み付くと、雷鳴を轟かながら、放電した。
 視線を向けると、ベルクトは小さく笑った。
「ありがとな、兄ちゃん。あとは、ウチがやるわ」
「ああ」
 蜘蛛の様子を見やってから、うなずいた。
 いつまでもとは行かないが、しばらくなら、抑えこめるだろう。確かにこれ以上でしゃばる理由もない。
 もう、勝負はついた。
 後方に下がりながら、空を見上げる。
 灰色の空の中心に、灼熱する鉄塊の姿が見えた。
 炎の魔槍。
 まだ、あがいているようだ。何かに引っ掛かったように、ゆっくりと、降りてくる。
 少し、苛ついた。
「ガイアバレット」
 穂先に、石飛礫の呪文を当てた。話によると、気が短いらしい。案の定、呆気なく、落ちて来た。
 挑発した御陰で、更に熱量を増したらしい。自重で加速し、業火の尾を引きながら、降下。それ自体が一本の、長大な槍であるかのような、巨大な光の残像を残して大地に突き刺さる。
 そして、炸裂。
 閃光が、視界を白く染めた。

 すべての魔力を放出したらしい。
 地獄の業火のような熱量を撒き散らした魔槍は、それから急速に静まって行った。
 巻き上げられていた砂塵が収まる。
 そこにはもう、なにも、残っていなかった。
 あの状況では、離脱はできなかったはずだ。痕跡も残さず、蒸発したようだ。
 大きく息をついて、校庭へと足を踏み出した。見渡したが、同時に消滅したのだろうか、ベルクトの姿は、もう見当たらなかった。
 かえって、良かったのかも知れない。
 変な顔を、見られずに済んだ。
「無事か?」
 体力を使い切ったらしい。座り込み、地面に足と大剣を投げ出した少年に声をかけた。
「ああ」
 口元を緩めたエイセルだが、だがすぐに、渋面になった。
「薬が切れたらどうなるか、わかったもんじゃねぇが」
 かなり、後を引く痛みらしい。かなり、好き放題にやっていた。数日は痛みが抜けないだろう。
 同情はしたが、同時に安堵して、小さくため息をついた。
 その刹那、背後から、声がとんできた。一緒に、背中に、ふわりとなにかが飛びついて来た。
「ウチの心配は、せぇへんの?」
「してほしければ妙な悪戯をするな」
 苦笑気味に応じ、問うた。
「なんともないのか?」
「こんな感じやな」
 背中におぶさったか格好のままで、ベルクトは片手を上げた。
 消えはじめていた。
 ゆっくりと、風化するように、淡い光の粒子へと変わり、大気に融けていく。ところどころ、もう、透けていた。
 言葉が、出てこない。
 どんな顔をすれば、いいのだろうか。永い呪縛から解き放たれての、死。祝福すべきことなのかも知れないが、胸に、締め付けられるような痛みを感じた。
「そうか」
 なんとか、それだけ絞り出した。
「ありがとな」
 囁くような声は、確かに、震えていた。
 実体を失いかけているせいで、感触は曖昧だが、たぶん、泣いている。
「ベルクト」
 問いかける。
「バレてもうたな。やっぱ、怖いわ」
 綿のような感触の抱擁が、ほんの僅かに、力を増した。
「だから。このままでええ? 消えてまうまで」
「顔も見せずに、消えるつもりか?」
 この体勢では、顔も、まともに見えない。
「このほうがええ。あんまり、見てほしゅうない顔やし」
「そうだな」
 こちらも、同じようなものだ。そっと、首の下に回されたベルクトの手に触れた。
 握ってやりたかったが、もう、ほとんど実体は失われていた。
 肩と、背中の感触が、弱まり、消えて行く。
「ほな、な。アリスタ」
 かすかな囁きを最後に、感触が途切れた。
 たまらなくなり、振り向いた。



 まだ、見えた。
 やはり、泣いていたらしい。顔が、ぐしゃぐしゃだった。
「あかんて、いうたやろ」
 泣きながら、笑って言うベルクト。こちらも、無理に笑って、首を左右に振った。
「こっちもロクな顔じゃない。お互い様だ」
「それも、そやね」
 ベルクトが小さく笑う。
「ほな、ほんまに、これで最後や」
 そうして、軽く深呼吸をする。
「さいなら、アリスタ」
 ひどく、穏やかな口調と、微笑。
 それだけを残して、ベルクトの姿と気配は大気に溶け、消えた。
 無意識に、周囲を見渡すが、もうなにも、見当たらなかった。
 胸の奥に押さえ込んでいたものが、急激に、圧力を増した。
 唇を噛み、視線を上げた。
 泣くな。
 そう自分を、叱咤する。
 自分が、涙など流せば、心配するだろう。
 折角解き放たれたのだ。束縛したくない。
 代わりに、そっと、言葉を紡いだ。
「またな、ベルクト」

「お嬢ちゃんの具合は?」
 ベルナから街道へと直結する林道、老人の問いに、エイセルは頭を掻いた。
「相変わらずだな。平気な顔でへこんでる」
 扱いづらくて仕方がない。とにかく普段どおりを決め込んでいるから、フォローのしようがなかった。
「適当に、放っとくつもりだけどな」
 あまりああだこうだ言っても仕方がないだろう。悪化しない限りは、口出しはしないことにした。消せない類の痛みだ。慣れるしかないのだろう。
「ひっかかっておるの」
「ああ」
 苦笑気味に、うなずいた。そう簡単に割り切れれば、苦労はしない。
 老人が、表情を歪めるのがわかった。
「詫びは、要らねぇよ、ドギ」
 相手が口を開く前に、そう言った。
「いつ気づいた?」
「昨日の夜、な」
 コンピニア関係の資料をかき集めて、ようやく気が付いた。
「ま、勘違いだけどな」
 事情もなしに、素性を隠すような老人ではない。そういうことにすることにした。
「それに、俺が勝手に許しちまうっていうのもヘンだろ?」
 断片的な資料を流し読みしただけの自分が、「コンピニア三博士のひとり」が背負ったものの重さなど、理解できるはずがない。勝手に許してしまう資格などないし、そうしたところで、楽にはなるまい。
「まぁ、あいつに限っちゃ、別に、爺さんを恨んでも、憎んでもいねぇよ。俺が勝手に言っちまうのもなんだけど、たぶんな」
 老人は、ほろ苦い微笑を見せた。
「気を使わせてしもうたの」
 笑い返して見せる。
「そうだな、それだけは、恨んどくか。ガラじゃなさ過ぎだ」
 そのまま、街道に出た。
「あとはしばらく道なりだ。半日くらいで十字路に出るから、そこで左だな。また迷うから近道しようとかするなよ」
「世話になったの」
「ああ、またな」
 老人は微笑して応じる。
「またの」
 それが、老人との最後の会話だった。

 元々が幽霊だ。なにも残さず消えていったとばかり思っていたが、違ったようだ。
 らしいというか、妙なものを遺して行った。
「ずるくない?」
 旅の空の昼下がり、草原に腰を降ろしたこちらの膝元を見やり、恨めしげにレニーが言った。
 まぁ、確かに反則と言えば反則かも知れない。
 月歯類に好かれる力など。
 膝の上まで駆け登り、黒く丸い目でこちらの顔を見上げてくる小さな栗鼠に手を伸ばし、抱き上げた。
 指先で、そっと喉元を撫でる。
 大丈夫だと言っているだろう。
 いつもの台詞を、いつもの通りに、胸の中だけでつぶやいた。
 こびりついた霊的な匂いの作用らしいが、いつも、あの少女が、心配して様子を見にきたような錯覚を感じる。
 おまえがいなくても、ひとりじゃない。
 ひとりでなくても、おまえを忘れたりはしない。
 だから。

 小さな笑みを作って、告げた。

「あまり、心配するな」