其の10 約束の薬
シーンB
 翌日の昼。
 目の前のベッドではマーハが昏々と眠っている。
(どうしましょう…)
 オーフェは頭を抱えてしまった。
 一体何が起きたのかが分からない。



 つい先程、依頼された薬の調合を終え、最後にオーフェはレシピに書かれた通りの魔法を唱えた。
 『チャーム』…魅了の魔法である。元来敵対する者に対して戦意を喪失させる目的で、争いを好まない神官達の間でこの魔法は使われていた。
 唱えた所で、彼は気付いたのだ。もしや…この薬。
 そこで、オーフェは事の真意を確かめる為、依頼主であるオルトロスの泊まる宿へと向かったが、あいにく留守であった。仕方なく部屋に戻ってみると、マーハが床に倒れている。何が起きたのかが分からないオーフェは、とにかくベッドにマーハを横たわらせた。



(また、無理をされていたのでしょうか?)
「んん…」
 マーハはぼんやりと瞳を開く。彼女の目の前には心配そうに自分を覗き込むオーフェの顔があった。
「オ…オーフェ…わたし…」
「大丈夫ですか、マーハさん。一体何があったんですか?」
「わたし、あの薬を少しだけ味見しちゃって…それで…」
 マーハは恥ずかしそうに俯いた。

「あ、味見!?」

「だって、綺麗なピンク色で美味しそうだったから」
「……」
 ちょうどその時、扉をノックした後タケルが部屋へと入って来た。
「ああ、帰って来たのか…オーフェ。タイミングが悪いな。ついさっき例のオルトロスって男が、お前に会いに来たらしいぞ」
「ええ!まだいらっしゃいますか?」
「いや、俺は直接会っていない。グリンが言うにはもう帰ったらしいが…」
「追いかけないと!」
 オーフェはその場から駆け出そうとした時、マーハは彼の手を握った。
「マ…マーハさん?」
「行かないで…オーフェ…」
 俯いていたマーハは、頬を紅く染め上目遣いでオーフェを見つめた。

「傍に居て、オーフェ。わたし…オーフェの事が好きなの」

 その言葉に、オーフェとタケルが凍りついたのは言うまでもない。

 たった今も、オーフェと腕を組んで寄り添っている嬉しそうに微笑んでいるマーハの姿。…認めたくない現実とで、グリンはイヤイヤと頭を振って悲嘆を上げた。
「一体どうなってやがる、タケル〜!」
「俺に聞くなよ。部屋に入ってみたらずっとこの調子なんだ」
「マーハ〜、なあ。冗談はよせよ!」
「冗談なんかじゃないよ。だってわたし、オーフェの事が大好きだもの」
 マーハはオーフェの腕にしがみつく。
「マ…マーハさん…。ええとですね…」
 突然の事に終始オーフェはうろたえていた。心の準備という物も出来ていないし、ましてそれまでそんな気の素振りなど全くなかったマーハだ。いくら自分が心惹かれる相手とはいえ、複雑な心境である。
「気持ちはとても嬉しいのですが…」
「贅沢モンめ!」
「迷惑なの?」
 マーハは今にも泣きそうにオーフェを見た。オーフェはますます頬が赤くなり声も上擦る。

「滅相もないです!僕だって…僕だってその…マーハさん…あなたの事が…!!」
「オーフェいぃぃぃぃッッッッ〜〜〜〜!」


「フニャン?」
 グリンの絶叫を尻目に、オーフェが重大な科白を言いかけたところで、ミッフィーが宿に帰ってきた。そうして、帰ってくるなりにマーハに抱きついた。
「お帰り、ミッフィー」
「フニ?」
 マーハの腕の中、ミッフィーはクンクンと鼻を嗅いだ。
(何や、この匂い?)
「フ〜〜〜〜」
 訝しげに顔を上げ、ミッフィーはマーハから離れる。それまで子猫のようにじゃれていたミッフィーの様子の急変に一向は驚いた。
「どうしたんだ、ミッフィー?」
「フニャン!」
 大好きなマーハの呼びかけにミッフィーは鳴く。
「何か、気づいたみたいだな」
 タケルは小さく笑った。



 ミッフィーは言葉を封じられている。実の所は自ら封じているのであるが。
 マーハの様子がどこかおかしい。彼女の心そのものへ何か外力が働いた、そうとしか考えられない。タケルには確信があった。その手掛かりをミッフィーは掴み、言葉を持たぬ彼女は、行動で訴えようとしているのだ。



 彼女がパタパタと駆けて行った先は、先程まで調合を行っていたオーフェの部屋だった。
「フニャン!」
 彼女は『約束の薬』を指差す。
「まさか、マーハさんはこの薬を飲んで…?」
「どういうことだ、オーフェ?」
「『少し味見をした』って言ってたんです。こうなる前に…」
「この薬…オルトロスは一体何の薬を頼んだんだ?」
 ミッフィーから薬を受け取ったタケルは、光に薬を翳した。透き通るシロップのように明るいピンク色の液体。

「オルトロス…あ〜あの、ダンゴッ鼻!…『オルトロス=ルルカ』!!」

 グリンは突如ポンと手を叩いた。どうやら依頼主の素性を思い出したらしい。
「オルトロス=ルルカ?」
「ああ、ライム王家に古くから仕える魔術師家系の大貴族、ルルカ家の当主だ。王国滅亡後も生きてやがったのか…」
「ルルカ家の当主と言えば…」
 タケルもまた思い出した。街で人々が口にしている噂を。
「ルナル家令嬢の婚約相手だったな。街で聞くにはルナル家も、昔サンタマリア王家に仕えていた貴族らしいが。折り合いが上手くいっていないらしいぞ」

「んじゃ〜まさか、その薬は…つまり『お約束の薬』…」

 グリンはタケルの手中の薬にある恐怖を抱く。
「ああ、間違いないだろ。『惚れ薬』だ」
 タケルはキッパリと断言した。

「オーフェいぃぃぃぃッッッッ〜〜〜〜、テメエ!」

「僕だって…僕だって作るまでわからなかったんですよ〜!」
「悪用出来ない様、完成に神聖魔法を必要としたのか。だから、オーフェに作らせたんだな」
 一息ついて、タケルは静かにその薬を卓上に置いた。そして呆れた様に、癖になりそうな溜息をつく。
「まったく…少しは警戒するべきなんだ、マーハは…」
「んな事言ってる場合じゃねえだろ。治す方法を考えねえと…」
 騒ぐグリン他所に、マーハは満足そうに再び微笑む。
「心配しなくてもいいんだよ、みんな。わたしは幸せなんだから」

「よくねえ!」
「良くない」
「フニャン!」

「良くありません!!」


 最後に強く言い切ったのはオーフェだった。
「今のマーハさん、普通じゃありません。僕はあなたに想われて確かに嬉しいけれど、でも、違うんです。僕が…いや、皆さんが大好きなマーハさんは、今のマーハさんじゃないんです」
「今『僕が』を言い直しただろ」
 グリンは小さく呟いた。そうなのか…とマーハはガックリと肩を落としている。
「でもよう、治すにはどうすりゃいいんだ」
「簡単な事じゃないか、グリン。これは毒薬の一種なんだから、オーフェが解毒の魔法を使えばいいだけの話だろ?」
 あっさりと光明が見えた。
「タケル、オマエ本当に今回は頭の回転がいいな!」
「『今回は』は余計だ!」