其の17 灰猫の吟遊詩人
シーンA
 鼻を突く焦げた嫌な臭いで彼は目を覚ました。遠くの方でパチパチと炎の爆ぜる音がする。重たい体をゆっくりと起こし、鈍い痛みの残る額に手を触れると赤黒い血がべっとりと手のひらについた。
 どこかでぶつけたのかな?
 地肌の色もよくわからないほどに灰にまみれている。だから命が救われたという事を、その時彼は考えもしなかった。ただ、見上げた空にこの世のものと思えぬ恐ろしいものを見た。そして、彼の意識は暗い闇の底に落ちた。
 それが、彼の覚えている最初の記憶である。

「それじゃ、1曲頼むよ。グレイ」
「いいよ、でも僕の美声は高くつくからね」
 グレイと呼ばれた獣人の少年は、手に抱えたマンドリンの弦をピックで軽く弾き答えた。澄んだ響きに、冒険者・クエスター達の集う酒場「弓張り月」は静まり返る。同時にグレイは灰色の耳を立てて、しっぽの毛を逆立てた。
 この瞬間が好きだ。自分に寄せられる聴衆の期待の眼差し、演奏する直前の静寂、心地よい緊張感。そして彼は、溢れる音色に併せ叙事詩を紡ぎ出す。

hakura surami suto meraiti rasyuhnu miyo da okina
 arari imi hito niraka nouto imi nito niraka
 rito imi nirakito niraka sigokito imi rito niraka
 aori imi sibuto niraka aito imi rabeto niraka
 limeland yu nurunna tata tinise ti itoni yu anaena
 tinito itoniha wadane royu tami hinoda usakena
…」

 ライムランドで有名な創世記に纏わる聖歌である。しかし、発語の難しい古代神聖語の歌詞を正確な発音で歌う事の出来る者は少ない。
 酒場を埋め尽くす拍手と歓声の中で、グレイは誇らしげにお辞儀をした。そこまではいつもと変わらない光景だったのだ。
「なんでぇい、オレ様はそのレインと旅をした英雄なんだぞ〜!」
 大男の間の抜けた言葉に、場内は一瞬にして静まり返った。
 レインと旅をした。
 間違いなく、この大男はそう言った。酒場の客と、そして歌い終えた当人・グレイの視線はその大男へと向けられた。年の頃はよくわからない。見れば伴なのだろうか、2人の男を連れていた。それがまた、奇妙な風体をしていて、片方は派手な原色緑の縞の入った趣味の悪い帽子と、それに併せた道化服・アルレッキーノ。もう片方の男はさらに派手な黄色の縞、そして見るからにオカマだ。
 3人の姿を確認した後に客の誰もがバカバカしい世迷いごとをと、何もなかったかのように酒を飲み始めた。マスターに至っては、見知ったこの連中をどうやって酒場から追い出そうか思案している。この酒場で毎晩酒を飲んではツケを貯めていく、頭の痛い常連客だ。ただ1人、グレイだけが瞳を輝かせ大男の言葉に、胸を弾ませていた。

「僕の名前は『アール=グレイ』。この髪だから『グレイ』ってファミリーネームで呼ばれる事が多いんだ。家族はいないし」
 ファミリーネームは、普段他人から呼ばれるファーストネームとは別に、戸籍管理の為に名乗るようライム、サンタマリア、シャヌーン大陸の法で決められた名の事だ。王家や貴族と同じように、血縁間で同じ名を名乗る。同様にファンジームやデストニア、アルティマの民も一部では名乗るようになったが、まだ徹底されてはいない。大男の名はダジリン、オカマはセイロン、精霊古語で話すアルレッキーノの男はアッサムというらしい。
 マスターに頼み、予定より早く仕事を切り上げたグレイは、3人を酒場の外へと連れ出し、尋ねた。
「で、レインと旅をしたって本当なの?」
「おうよ、俺様とレインは強い結束で結ばれた仲間なのだ〜」
「本当!?」
 グレイがレインにこれほど逢いたいのには理由がある。7年前にグレイの住んでいたカデシュの街は魔界軍による人間狩りにあった。彼は唯一生き残り、グリーン・ウッドのメンバーに拾われた。グリーン・ウッドとはグリーンストーンのレイン、グリン=シャン=フォレストが指揮する冒険者ギルドである。それからすぐに、グレイはギルドメンバーとなったが、彼のような下働きの…そして地方に務めるギルド員が総長のグリンに会う事など出来る筈がなかった。
 自分を救ってくれた命の恩人を知りたい。
 彼は長い間それを夢見てきた。レインに憧れその英雄譚を歌い、表稼業は吟遊詩人としてある程度知れ渡っている。しかしその英雄譚と人物像は人伝いに聞いた話でしかなかった。大衆の誰もが知っている叙事詩にすぎない。
「そうよ、あたし達はレインと一緒にヴァティスと戦ったんだから!」
「すっげ〜!」
 セイロンが体を揺らしながら上機嫌に答える。彼のようなオカマも含む、がレインの仲間が目の前にいる。すっかり舞い上がってしまったグレイは、気持ちを抑えきれずに彼らに願い出た。
「レインやルラに逢えないかな。もちろん御礼はするからさ」
「無茶いいはるなぁ、ルラはライムランドにおらん…」
 アッサムがそう言いかけた所で、ダジリンがその口を塞ぎ、ニヤリと笑った。
「レインは難しいが、ルラにあわせてやろうか?」
「ほんと?」
「おう、ルラの知り合いなんてそうそう居ないだろ。運がいいなぁ、お前〜」
 苦しいといったように顔を青くしているアッサムを開放したダジリンは、グレイの方をポンポンと叩いて笑った。
「礼をするって言ったよな?」
 その目つきがなんとなく怪しい。素人でも分かりそうなものなのだが、すっかりルラ一色のグレイは、その仕草に気づきもしなかった。それどころか、ダジリンの言うように
「ルラと逢えるなんて、得したなぁ」
 としか思っていなかったのだ。現在務める6人のレイン。その素顔はライムランドの国民であらば、誰もが知っている。ダジリンの言うように、ルラについてはその素顔は知られていない。
「銀色の髪の少女」
 だというが、聖戦が終わり6年経つ今までにそれらしい人物を見かけたという報告はグリーン・ウッドにはなく、行方不明とされている。
「お礼なら何だってするから。ここの酒場のツケが貯まってるんでしょ? 僕が払うよ。それでいい?」
 その台詞にダジリン達は満足気に頷いて、グレイを街のある場所に案内すると答えた。

「ルラはこの街のある場所で、お忍びで働いている」
 とダジリン達はグレイに教えた。これも素人が考えれば怪しい事この上ないのだが、ルラ一直線のグレイはその他に関する事は何も見えていない。暗闇の通りの中、グレイは一際明るい建物の前に案内された。2階は宿のようだが、1階は何やら喧騒が聞こえる。酒場のようだ。
「『冒険者の店』かなぁ?」
 「冒険者の店」とは名の通り、冒険者・旅人に対し宿、仕事の斡旋・情報の提供など諸々の役目を担う。大抵1階は酒場で、2階は宿といった造りが多かった。しかし、それにしてはどこか派手派手しい雰囲気が漂う。
 店の看板には「Beautiful Caldron」とある。
「ここでルラが仕切って働いてるからな。一番偉いヤツがそうだ。じゃあなぁ〜!」
 不敵に笑うダジリン達3人は、それだけ言い残しグレイの前から走り去っていった。彼らの事などどうでもいい。この扉の向こうに憧れのルラが居るのだ。高鳴る鼓動を抑えるように胸に手を当て、グレイは一度深呼吸をした。落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かす。
 まずは何て言おう。ええと、助けてくれてありがとうございました。いや、だめだ。僕を助けたのはグリン様だし。
 じゃあ、あなたのファンですっていうのは…う〜ん。引かれるかなぁ。
 一吟遊詩人ですが、あなたの冒険譚を聞かせてください?
 これだ!
「ごめんください〜!」
 グレイは意を決し、扉を叩いた。
「はぁ〜い」
 意外にも野太い声が返ってくる。扉を開けグレイを迎え入れたのは、筋肉質の大男だった。だが、明らかに間違っているのは女性のような化粧をしている事、煌びやかなドレスを着ている事、眩い装飾品を耳やら首やらにぶら下げている事…ちょっと前にダジリン達の中に居た、セイロンというオカマに似ている。いや、それより酷い。あらゆる意味で。
「あの〜? ここで一番偉い人とお話したいんだけど…」
 流石に脳内ルラのグレイでさえ、この現状に違和感があった。
「あ・た・し・だけど〜。ああ〜ん、あなたねぇ。ダジリンが教えてくれた新しい子っていうのは。随分若いのねぇ?」
「え、ええ〜〜〜〜!?」
 目の前のオカマが…この店の責任者だという事は、ルラなのか。グレイはもう一度、目の前の相手を足元から見上げた。髪に一筋、銀のメッシュが入ってる。ルラと一致する身体的特徴は、たったそれだけしかない。第一、少女じゃなくて男だし!
 彼はグレイの背中を押して、店の中に招いた。そしてグレイは、自分に一斉に浴びせられる強烈な視線に身震いした。店に居るのは皆オカマ。そう、ここはオカマバーだったのだ。
「今日から働く新入りの子よ、よろしくね〜」
 ようやく自分の置かれた現状を理解したグレイ。天を仰ぐと同時に額の古傷に鈍い痛みが走り、視界が真っ白になってゆくのだった。

「ここ、どこなんだろ?」
 グレイは見知らぬ部屋のベッドの上で目が覚めた。頭がハッキリせず、ぼんやりと周囲とベッドを見回したところで、そのピンク色の派手なシーツで気を失う前の悪夢を思い出した。
「うわ〜!」
 慌てて自分の身の無事を確かめるが、何かされた痕跡もない。
「だ、だまされたんだ…」
 そう呟くと、目頭が熱くなった。ポロポロとシーツの上に涙が流れた。
「あんのバカ達。こんなに素直な子騙して〜」
 店で一番初めに会ったオカマが部屋に入ってきた。ふぅ、と溜息をつくとグラスに注がれた水をグレイに差し出した。すまなそうな顔をしている所から、どうやら悪い人間ではないらしい。安心したグレイは泣いていた自分を恥じて、涙を拭った後にグラスを受け取った。
「あなたはルラじゃないですよね?」
「変な事言わないでよ。あたしの名前はウーロン。ルラなんかじゃないわ」
「ですね、ハハハ」
 グレイは思わず苦笑いをこぼした。ガクリと肩を落とし、ウーロンというオカマに小さく礼を述べ、ベッドから降りた。もう、ここには用はない。また「弓張り月」に戻り、今までと同じように冒険者へのクエストの斡旋をする。何も変わらない日々が続く。どうしても諦めきれず、悔しくて、グレイは思わず一言吐き捨てた。
「レインの仲間だなんて嘘、最低だ!」
「あら、それは嘘じゃないのよ」
「え?」
 信じられないウーロンの言葉にグレイは顔を上げた。
「ダジリンとセイロン…ああ、あの子はあたしの弟なんだけどね。それとアッサムはレインと共にレオハルトに乗って、魔界軍と戦ったんだから」
「ええ〜! あのペテン師が?」
 実の兄の居る前で失礼な台詞かもしれない、しかし実際に騙されているわけだし。それに、この兄・ウーロンも自分を騙そうとしているのではないか?
 ウーロンはそんな混乱しているグレイの心の内を分かっているのか、筋肉質の外見とは反して優しく語り掛けるように彼等について話し出した。
 今から13年前、レインを名乗りシャヌーン大陸のメンフィスで詐欺をしていたらしい。その最中、彼らはレインとルラに出会った。詐欺がばれて、こっぴどく懲らしめられたという。
 だが、それに懲りずに彼らはその後6年もの間、レインの足取りを追い続けたというのだ。
「レインと一緒に旅をしたかったから?」
「そうね〜、というよりは『その名声にあやかりたかった』っていうのが本当の所じゃないの」
「な、なるほど…」
「でもね〜、その根性。逞しいと思わない?」
 ウィンクをしてウーロンは微笑む。彼らはついにレインと合流し、共にヴァティスと戦った。目的は何であれ、ヴァティスと戦い世界平和に助力した事に間違いはないのだ。
「確かに…凄いかも」
「あたしもねぇ、レインとルラに会ったのよ。ルラったら、ここで働いてる最中にお酒によっちゃってねぇ〜」
「ええ〜!?」
 また、信じられない事実であった。
「レイン達って結構貧乏だったみたい。こんな事、誰も知らないでしょうね〜」
「そうなんだ…」
 それほどまで庶民的な悩みに苦しんでいるレインなど、グレイには想像もつかなかった。自分が歌ってきた英雄譚にはない、身近なレインの姿を知る者がこんな所にいたのだ。
「あいつらにだって出来たんだから、僕だって出来るよね」
「あら、どうする気。坊や?」
 詐欺は止めなさいよ、犯罪なんだからとウーロンは冗談を交えてからかう。
 グレイには勿論、そんな気は毛頭ない。