| 其の18 空の瞳の剣士 |
| シーンA |
ラシューヌ神と統治者・レインの戦い…、『聖戦』と呼ばれる大戦から4年の月日が流れた。
ライム暦2010年、ここはライムランド主国ライム。世界の中心に位置し、6人の統治者の1人ブルーストーンのレイン、アレス=フォン=ラントライが治める王国である。
アレスが生まれた24年前、ライムは滅びた。奇跡的に生き延びたアレスは、ブルーストーンのレインとして他のレインと共に魔界の神・ヴァティスを倒した後に、1人故郷へと戻った。それから4年、劇的な復興を遂げたその影には、エレメンタルジェムと呼ばれ魔力源となる石を用いたコンピニア・システムの開発があった。そして、首都ライアスには父王・アクアリジアにかつて仕えた王宮騎士団長・ホウンテイン=クリアブレイドと王宮魔術師団長・オルトロス=ルルカがアレスの下に馳せ参じた。
それらの幸運と有能な官吏に恵まれたアレスは、短期間でライムを24年前と同じ美しい都へと蘇らせたのである。
時は早朝、年を迎えてから4月目の1日。
ライムランドには古くから、国を挙げて執り行われる『雫授の儀』と呼ばれる祭りがあった。
その年に10歳になる子供達は、彼らが属する大陸のレインから祝福される。それが『雫授の儀』だ。地方では簡略的に土地の有力者がレインの代理を担う事が通例である。だが、首都ライアスにおいてはライム大聖堂にて国王であるレインが直に、10となる子供の1人を選び雫授の儀式を行なう。そのたった1人『聖雫の杯』に選ばれる事は非常に誉れ高く、そしてライアス中の子供達の憧れであった。
「政は苦手なんだ」
「そうはおっしゃわれましても、陛下。ライム全土の民が陛下の御勇姿を心待ちにしておるのです」
本殿から自室のある聖泉殿へと通じる渡り廊下を、足早に進むアレスを追うホウンテインは武人らしからぬ早口と焦り様である。
歳は24のアレス。しかし聖戦の最中5年という間、魔王によって石に封じられていたため、実際は5つ若い。まだ年若く、王としての経験浅い青年である。それゆえ、彼は政治の殆どをホウンテインとオルトロスに担っている。ただし、今回のような公務は別だ。レインとしての役割を果たさなくてはならないし、国民に対する礼もある。
しかし、あの重苦しい盛装と形式に縛られた儀式は勘弁してくれ。
自嘲する。そもそも戦う事しか知らなかった不器用な少年だった。父王が自分を庇い壮絶に果てた事を知った時、父の夢であったライムの復興を誓った。統治者・レインの使命であると。
「今年はオルトロス殿の御息女が『聖雫の杯』なのですぞ」
アレスは立ち止まり、兵舎に続く庭園を見つめる。
「オルトロス殿は、それは楽しみにしておられて…」
「わかったよ」
「それと、陛下。アルティマ・ベルナ、ニーザ家の御令嬢ソフィア様と、セイシンのオウヤ家の御令嬢リヨ様から文が届いております」
「……」
「おもてになりますなぁ〜」
ニヤリと笑うホウンテインに、憮然としたアレスはクルリと彼に背を向けた。
「気が変わった。儀式はお前に任せる」
「は!」
「お父様、あまりアレス様をからかってはいけませんよ」
アレスの言葉に青ざめたホウンテインを戒める澄んだ声の持ち主は、彼の娘アイシャだった。アレスとほぼ同じ年頃であるはずだが、落ち着いた雰囲気が漂う。
「アレス様も、子供のような事をおっしゃらずに。どうか覚悟なさって、お着替え下さいませ」
「う…」
ニッコリと笑うアイシャの言葉には、有無を言わせぬ強さがある。物怖じしたアレスが、渋々本殿に戻ろうとしたその時だった。
「曲者〜〜〜〜!」
兵舎の方からだ。剣を交える金属の音、そして喧騒。
アレスは、我に返りそこから駆け出した。 |
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騎士団兵舎、屋外訓練場。
「何事だ!」
血相を変えて走ってきたホウンテインは、状況に唖然とした。そこで早朝訓練をしていた部隊であろう。皆がうめき声を上げて地に倒れていた。流血がない所を見ると、峰撃ちなのか。しかし総勢10数名全員が…である。
遅れてアレスとアイシャが続き、眼前倒れた騎士達の中央に立つ小さな人影へと目を見張る。
「貴様、何者だ!」
ホウンテインは腰に帯びた剣を抜いた。応じるように、その人物はホウンテインとアレス達の方へと振り返った。まだ子供だ。癖のある漆黒の短い髪、空色の瞳がキラキラと輝いている。侵入者とは思えない活動的で簡素な身なりは、この現状とかなり違和感があった。
「これが、ライムの王宮騎士? よわいなぁ〜」
「小僧!」
「おっさん、あんたは強いの?」
「おっさ…」
声を失うホウンテインに対し、少年は右手にある曲刀・ファルシオンを構えた。
「勝負!」
「よせ…!」
瞬時、ホウンテインの前に立ち少年の斬りを受けたのはアレスであった。目に見えぬほどの恐ろしい速さで、己の剣を抜いたのだ。
少年の曲刀は勿論片刃である。それを逆に構えていた。
成る程。刃のない際で峰撃ちか、とアレスは小さく笑う。何が起こったのか理解できなかったホウンテインは、主君に庇われた事を知り慌てて自分の剣を握りしめた。
「へ、陛…」
「お前は下がっていろ」
「な!」
少年は後ろへ跳んでアレスとの間合いを取った。まるで玩具を見つけて喜ぶ子犬のようだ。好奇心に満ちた大きな瞳が、アレスを見つめた。
「へ〜、あんたは出来るじゃん」
「これをやったのは、お前か?」
「そうだよ。オレさ、せっかくお城に遊びに来たんだ。強い奴と勝負したいじゃんか。なのにさ、こいつら。口ばっかでたいした事ないでやんの」
「言われてるぞ、ホウンテイン」
「くぅ!」
今にも湯気が上がりそうな赤い顔をしているホウンテインを横目で見ながら、アレスはニヤリと笑った。
「さて。お前は腕に自信があるようだが、勝負に負けた事はあるか?」
そう尋ねながら、アレスは手に持った剣を大地に刺した。
「あるわけない! って…」
アレスが散乱している訓練用の木刀を拾い上げるのを確認すると、少年はとたんに不機嫌そうに頬を膨らませた。
「なんだよそれ。そっちのご立派な剣はどうしたんだよ。やる気ないのか!」
「お前にはこれで十分だ」
「な、何だと!」
「それと、左手でな」
利き腕でないとは思えない慣れた手つきで、アレスは飄々と木刀を振る。
「馬鹿にしやがって!」
少年が斬りかかって来た。そして、大きく跳びアレスへファルシオンを振りかぶる。
「きゃあ!」
アイシャはたまらず、目を覆う。
無駄な動きが多いんだ。
振り下ろされる直前で、アレスはそう嗜め素早く右に避けた。
そして…。
「え…」
少年が上擦った声を漏らした。
間違いなく、愛用のファルシオンが彼を捉えたはずだ。彼の髪に触れる感触まであった。あの距離で、突如標的が消えた。と思った時には、腕に痺れが走っていた。両手は空を握っていた。
「そんな…」
カランと遅れて聞こえてきたファルシオンの地に落ちる音が、少年を現実へと引き戻した。
ファルシオンの柄部分を、木刀で強く叩かれたのだ。そして弾かれた。
負けた…のか。こんなにあっけなく?
「世界は広いぞ」
アレスは笑う。
「こ、小僧!」
我に返ったホウンテインが、少年を取り押さえようとしたその時だった。
「フィオ〜〜〜〜!」
「げ!」
遠方から呼ばれる声に、少年はやばいといったような顔を向けた。
アレス、そしてその場に居る誰もが馴染みのある声だ。ライム双璧の片割、王宮魔術師団長オルトロスである。
「陛下、一体何の騒ぎですか!」
「へ、へいか?」
オルトロスの視線の先にある、先程まで剣を交えていた人物を見上げて、フィオと呼ばれる少年は目を白黒させた。
「ま、まさか…国王陛下?!」
「……」
アレスはとぼけたような顔をして、フィオから顔をそむける。その場に辿り着いたオルトロスは、その惨状に気付いたのか、息を切らして赤くなっていた丸い顔が更に真っ赤になって、乱暴にフィオの頭を掴んで無理矢理下げさせた。
「陛下、申し訳ございません! これはやはり…うちのアホ娘が…」
「いててて、髪引っ張るなよ。タコ親父!」
「娘〜?」
今度はこちらが驚かされた。
思わずよろけたアレスは、珍しく素っ頓狂な声を上げた。
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『雫授の儀』はつつがなく執り行われ、一連の儀式が終わった頃には既に日も暮れていた。大広間で催されたライムの貴族、仕官を招いた晩餐会の宴もたけなわとなった頃、人目を忍んでアレスは広間の外、庭園にある噴水の縁に腰をかけた。王冠を取って、軽くなった頭を上げ星空を眺める。
「お、陛下じゃん!」
ドレスの裾を無造作に捲り上げ、独り居るアレスに近付いてきたのはフィオだった。
「化けたなファルシーオ?」
「フィオでいいよ。面倒だしさ」
実際、儀式で『聖雫の杯』の大任を務めたフィオは別人のようであった。黄金の髪飾りから零れる黒曜石色の髪に、瞳と同じ空色のドレス。薄く色付けたルージュは、それだけで十分に、幼いが若さ溢れる美しさを際立たせた。オルトロス=ルルカの姫に相応しい装いである。
「陛下だって、最初あった時は王様っぽくなかったな」
「お前まで陛下と呼ぶな。アレスでいい」
「な、な! それじゃ、アレス王。明日からオレに剣の稽古つけてくんない?」
「お前なあ、オルトロスが泣くぞ」
「親父は関係ないって。レインに剣を教えてもらえれば、オレはもっと強くなれるだろ?」
「なぜ、ルルカ家に生まれたお前が女だてらに剣を振るう?」
「逢いたい奴が居るから!」
「逢いたい奴?」
「そう、命の恩人。バトルアックスの使い手。すっごく強い戦士なんだ!」
フィオはアレスの隣に座り、彼の顔を見上げた。昼と同じ様に、瞳がキラキラと輝いている。
「命の恩人に逢いたい気持ちはよく分かるが、そこでなんで剣を振るう必要があるんだ?」
「だってオレが有名な剣士になれば、きっと向こうも逢いに来るじゃんか」
「フッ…なるほど…」
とんでもない理由だ。思い焦がれる男性への再会が、強くなりたいなどという夢になる事は頭底ありえない。だから、思わず吹き出してしまう。
「バカにしてるだろ?」
「バカになんかしちゃいない。いいだろう。稽古を付けてやるが、一つ条件がある」
「条件?」
「あまりオルトロスを心配させるな。最近あいつは、気苦労のせいか髪が薄くなってるような気がする」
「あははは」
目の前のフィオは、腹を抱えて笑い出した。
「だから、お前は少し女らしくなれよ」
その一言に一変して、フィオは眉を顰めた。
「え〜〜〜〜?」
「せめて、今日みたいな公の場くらいはな。俺の前では全然構わないが」
「ちぇっ」
「姫様!」
大広間から駆けて来る若い男は、ルルカ家の召使だろう。見覚えがある。
「あちゃあ、ジニアスだ。うるさいのに見つかった」
「今日の主役はお前だろう。大人しく戻っておけよ」
「稽古の話。約束だからな、アレス王!」
鬱陶しいらしく再びドレスを手繰り、召使いの元へと足早に去っていった。
「陛下こそ、戻られてはいかがです?」
ビクリとして背後を振り返ると、アイシャがクスクスと笑っている。
「いつから居たんだ?」
「宴に来られた女性の方々を、そう待たせてはいけませんよ」
「あのなぁ」
「けれど、あのようなアレス様のお顔。久しぶりに拝見致しましたわ」
「え?」
「朝の騒ぎ、今もファルシーオ様とお話されている時です。本当に楽しそうで」
「……」
自分では気付いていなかったのか、アレスは首を傾げる。
アイシャの視線の先には、広間へと入っていくフィオの姿があった。
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「少し、羨ましいですね」
「すまない…」
「3年前の事は、御気になさらずに。陛下に相応しい女性にお会いできるのを楽しみにしております」
「俺は妻を娶るつもりはないんだ」
3年前、復興の目処が立ち始めた頃にホウンテインは愛娘アイシャをアレスに紹介した。それに何の意味があるのか、アレスにも凡その予測がついた。一度滅んだと思われていた王家である。その唯一の生き残りアレス、彼の血を絶やしたくはないのだろう。ホウンテインが王家の血筋を望むような野心ある人間ではない事は十分に心得ている。それに関しては、本日フィオを連れてきたオルトロスについても同じだ。彼らはアレスと王家の行く先を気にかけているのだ。
「アレス様…」
「本当にすまないな。お前のクリアブレイド家もフィオのルルカ家も、俺のラントライ王家の遠縁だと聞いた。俺亡き後は二つの家に任せようと思っている」
「何をおっしゃります。まだ陛下は、お若いではありませぬか!」
「……」
アレスは天を見上げた。夜空に浮かぶ星々の中に、銀色の満月が優しく光り輝いていた。
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