其の18 空の瞳の剣士
シーンB
 それからおよそ、3年の歳月が過ぎた。
 城北の丘にあるヒャダル空港に、王立空軍主艦・ラピッドクラウドが一ヶ月ぶりに帰艦した。空軍騎士団の敬礼の中、オルトロスが娘のフィオを連れて降り立つ。
「おお、ご苦労でしたな。オルトロス殿」
 ホウンテインは待ちかねたようにオルトロスを出迎えた。昨年の末にファンジーム南東部の街・ソグディアナで催される降神祭にライムの代表として出席し、その後ヨシュリア巫女王をサンタマリアに送り届け今に至る。
「今年は随分と長いサンタマリア滞在でしたな」
「いや、アルティマの方に所用がありましてな」
「アルティマ大陸ですか?」
「うむ」
「な〜、ホウンテインのおっさん。アレス王は?」
「お、おっさん?」
 オルトロスの背後から、フィオが小さく顔を出した。キョロキョロと周囲を見回して、アレス王の姿がないのに気付いたらしい。
「陛下なら聖泉殿の方におられると思うが…」
「そっか、じゃあな」
 バタバタと駆け出していったフィオを見送りながら、オルトロスは頭を抱えていた。
「ファルシーオ姫は変わりませんのう、オルトロス殿」
 慰めながら、苦笑するホウンテインは優しく彼の肩を叩いた。

 アレスは聖泉殿三階の自室、バルコニーから飛空艇が空港に着艦するのを確認し微笑んだ。
「帰って来たな」
「あ〜、ラピッドクラウドか?」
「話を続けてくれ、ジュウジュ」
 バルコニーから部屋へと振り返ったその先には、ウェーブがかかった群青の髪を無造作に縛ったエルフの男が居た。特徴ある深い緑色のスカーフは、彼が『グリーン・ウッド』と呼ばれる冒険者ギルドのマスター格である事を示している。
「アルティマの様子がおかしい。お宅のオルトロスも気付いてるとは思うんだがな」
「ヨシュアも同じ事を伝えてきたよ。確かに、最近はアルティマの貴族からの文書が異様に多い」
「あの大陸にはレインが居ねえからな、おかしな事を考える連中が集まってきやがる」
「我こそは『レイン』か?」
「そういう事」
 アレスはジュウジュに対峙し、ソファーに深く腰掛けた。
「馬鹿げている。『レイン』を選ぶのはあいつしか居ないのに」
「彼女はもう、居ないんだろ?」
 その言葉に、アレスは瞳を閉じた。二人の間を静寂が支配する。言ってはならない事を言ってしまったと、後悔したジュウジュはすまなそうに呟いた。
「わりい…」
「お前まで俺に気を使うな。それと、他に話があったんじゃないか?」
「ああ、例の島…魔将が住み着いたみてえだ」
「何だと?」
 初めて、アレスの顔に動揺が見えた。
「騎士団に討伐隊でも組ませた方がいいんじゃねえの?」
「いや、あの村は…出来ればそっとしておきたいんだ。公け事にしたくはない」
「魔将に荒らされてもか?」
「俺が行きたいところだが、そういう訳にもいかないか。お前の店に依頼するよ」
「クエストか?」
 幾ら出すんだ、とジュウジュは笑って懐から紙とペンを取り出した。
「クエスト?」
「ああ、冒険者に依頼する仕事の通称だ。冒険者の事も、最近じゃ『クエスター』って呼ぶ」
「『クエスター』…なぜ探求者なんだ?」
「アレス様」
 その時、扉の外でアイシャのアレスを呼ぶ声が聞こえ、二人の会話はそこで止まった。
「ファルシーオ様が陛下と直ちにお会いしたいとの事です。中央庭園、噴水の前で待つと」
「分かったよ。準備したら行こう」
 そう伝えると、扉の向こうの気配が消えた。
「じゃあ、ジュウジュ。クエストの件は頼む。グリンに宜しくな」
 アレスは壁に立てかけてあった剣を持ち、上着を羽織った。マントを留め金に填める。
「なあ、タケル?」
「?」
 聖戦時代の古い名で呼び止められたアレスは、ジュウジュの方へと顔を向けた。
「いや、やっぱいいや」
「何だよ、言いかけておいて」
「思い過ごしだったみてえだ」
 ジュウジュはメモを終えた紙とペンをポーチに仕舞い、バルコニーの方へと歩き出した。
 今のアレスの楽しそうな顔を見れば、グリンも安心するだろう。
 シャヌーンのレイン・グリンとアレスとを繋ぐ役目を担うジュウジュは、時折親友であるアレスを案じるグリンの言葉を耳にする。
 タケルは、大丈夫だと。
 そうグリンに教えてやろうと、心に決めた。
 そして次の瞬間にはジュウジュの姿はもう、バルコニーから消えていた。

 アルティマに滞在していたとは聞いていたが、まさかかぶれた訳ではあるまい。
 マントとそろいの、青い布を頭に巻きつけていた。南方、日差しの強いアルティマ大陸には一部の地域で布を用いて頭を覆うという。
 それに比べて、身なりはシャヌーン風の丈の浅いズボンに袖の短いシャツ。
「少しは女らしくしろと言ったはずだ」
 噴水の前で愛用のファルシオンを構えているフィオに対し、アレスは呆れてぼやく。
「無理無理、オレには城に居る事だって窮屈なんだから」
「何を考えてるんだ?」
「今日の勝負に賭けてみようかと思ってさ」
「賭けだと?」
「来た来た!」
 フィオ〜〜〜〜、と叫ぶなじみのある声が近付いてきた。悲壮感漂う、オルトロスだ。
「このアホ娘が! 旅に出るだと?」
「だからさ、アレス王に勝ったら…って言ってるじゃんか!」
「冗談も休み休みに言えい、胃に穴があくわ。お前はわしを殺す気か〜!」
「うっさい、タコ親父!」
「父親に向かってタコとは何だ、タコとは!」
「じゃあ、ハゲ!」
「つ〜〜〜〜!」
「その位にしておけ、二人とも」
 やれやれと息を落としたアレスは、己の剣を鞘から抜いた。
「なあ、オルトロス。俺が再臨の時、旅に出たのは13の時だ。フィオも13。世界を廻るのも悪くないと思うが…」
「平和な時勢とはいえ、未だ世界各地に魔将が現れます。ましてフィオは女の身。陛下までそのような事を…」
「だから〜、アレス王に勝ったらって言ってるだろ!」
「そうだな…」
 アレスは剣の切っ先をフィオに向けた。
「真剣勝負だ。オルトロス、俺に勝ったら彼女を旅に出してやれ」
「陛下!」
「お前、まさか俺が負けるなんて思っているんじゃないだろうな?」
「滅相もございません!」
「やりい〜」
 フィオもまたファルシオンを構えなおす。
「勝負!」
「来い!」
 タケルはフィオの最初の一撃を受けた。
 二撃目、中段からの斬り返しを再び受け流す。
「一ヶ月か」
 言い返した所で、素早く三撃目が下段から斬り上げられた。アレスは後ろに軽く跳んでそれを避ける。
 無駄な動きが多い。振り幅が大きい分、攻撃にかかる時間のロスがある。アレスにはフィオの曲刀の動きが、十分に目に追える。そう考えた所で、アレスは懐かしさを覚えた。
 昔、こんな風にある少女と稽古をした事があった。
 タケルは苦笑して、繰り出されるフィオの攻撃を避けた。
「身体が鈍ってはないか?」
「まださ!」
 そろそろこんな茶番は終わらせようと、タケルは上段からのフィオの攻撃を受けながら力を込めて斬り上げた。弾け飛びそうになるファルシオンをなんとか握り直すが、フィオの重心が大きく崩れる。
 そこに、アレスの剣がフィオの額を掠めた。頭に巻いていた布が解けて落ちるのと同時に、肩ほどに伸びたフィオの黒髪がサラサラと音を立てて零れ落ち…それに魅入った。
不覚。瞬く間の事で、訳も分からず目を見開くアレスの前に、ファルシオンの切先を向けるフィオの姿があった。