| 其の20 天翔る雲 |
| シーンA |
今から22年前の事になる。父ホウンテインは時のライム国王、アクアリジア=フォン=ライムに命じられ一戸船団を率い亡命した。魔王デビルダスの強襲である。ライムに双子の王子が生まれたその翌日、彼が5つの歳の出来事であった。幼い彼の記憶にあるのは、炎に包まれ沈んでゆく王都と船上で震える民衆、父の悔し涙。
「あの時、主君と共にこの命散らせたのなら…」
父は口癖のように呟いていたが、彼はそれが気に入らなかった。幼い妹がそれを聞いたらどう思うだろう。父が勝手に逝くのは構わない。しかしあの時、父が死ねば妹は存在しないのだから。
この乱世、妹は自分が守らねばならないと心に決め剣と魔法の修行に励んだ。それから22年後、世界に平和が戻った頃には、彼…シーアイス=クリアブレイドは少々変わった武人であると知られていた。重度のシスコンであると。
ライム魔術師団長、オルトロスが主に呼び出されたのは国王誕生日の早朝だった。主である国王、アレスは式典の準備で忙しいはずなのに一体何の用だろうと、王の住まう聖泉殿へと足早に急ぐ。
すると来賓室には、未だ簡素な身なりで居るアレスと、その横には王城に不似合いな作業服を来た小柄な老人が腰掛けて居た。そのとがった耳と骨太な体格から察するにドワーフであろう。アレスはオルトロスに気づき、ドワーフとの会話を止めてこちらへと向いた。
「すまないな、オルトロス」
「まったくですぞ、陛下。もうお時間もないというのに、いつまでそのようなお姿で…」
「のう、タケル。わしはこんなお偉いさんを呼んで欲しかった訳じゃないぞ」
オルトロスの小言を遮るかのように、そのドワーフは文句を言う。オルトロスは信じられないその言葉に唖然としてしまった。
眼前に立つは、ライム国王陛下、アレス=フォン=ラントライである。国で最も尊ぶお方であるによもや、このドワーフが気づかぬ訳があるまい。
「しかし、ヘパイストス。軍事に関わるということなら、彼とホウンテインに任せた方がいいだろう?」
「わしゃてっきり、シーザーが来るもんだと思ったわい」
少し寂しそうに、ヘパイストスと呼ばれたそのドワーフは俯いた。
ヘパイストス、シーザー?
どこかで聞いたことのあるその名に、懸命に記憶の糸を手繰り寄せていると、遠方で怒声が響いた。同じくアレスに呼ばれたライム騎士団長のホウンテインである。
「くせ者〜〜〜!」
予想どおり、ヘパイストスの場をわきまえぬ身なりに、侵入者と勘違いしているようだ。
「やれやれ、タケル。お主も苦労しているようじゃの?」
「いや、彼らなしではこの国の復興もなかった。感謝しているよ。俺一人じゃ、どうにもならないからな」
駆けて来るホウンテインに呆れながらヘパイストスは、アレスを「タケル」と呼んだ。
そういえば、陛下は聖戦時代には「タケル」と呼ばれていた。オルトロスはそれを思い出し、そのドワーフの正体に気づいた。ホウンテインが己の剣を抜こうとした、まさにその時である。
「よせ、ホウンテイン。そのお方は、レオハルト義勇軍のメカニック、ヘパイストス様だッ!」
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アルティマのある街から父に呼び返されたのは、聖戦終結後最初の国王誕生日であった。国王陛下との面通しを兼ねている。妹のアイシャと共に、シーアイスは本殿に向かう西側の廊下を歩いていた。
「ねえ、お兄様。レイン様は…アレス様はどんなお方でしょうね?」
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国王という事よりも、世界を救った英雄「レイン」に憧れているのだろう。そんな最愛の妹の夢見る顔をよそに、憮然としたシーアイスは己の眼鏡を指で正し一言戒めた。
「アイシャ、あのヒゲがレインにお前を会わせる理由なんぞ知れている」
「お兄様」
小さく溜息をついたアイシャはその場に立ち止まった。そして毅然として兄の顔を見上げる。
「だから、お父様の事を『ヒゲ』呼ばわりしないで下さい」
「いいか、レインに覚え目出度くととどまる話ではないぞ。奴は花嫁候補と考えているのだ。あのヴァティスを倒したレインだぞ、筋肉ムキムキのマッチョに違いない。お前のようなか弱い娘が抱かれでもすれば、へし折れてしまう!」
あああ…と頭を抱えるシーアイスをよそに、アイシャはただ呆れて王の待つであろう本殿を見上げた。小高い丘に再建されたこのライム城は、丘の頂に王の住まう聖泉殿、そして中腹にもっとも広い本殿、裾に庭園と騎士団兵舎、魔術師団宿舎、大聖堂がある。
そして、ふと気付いたのだ。その本殿に上る廊下奥から白いもやが流れてくるのを。
「お兄様!」
呼ばれて我に返ったシーアイスは同じく、そのもやに気付いた。一瞬火事か煙かと思ったが、焦げた臭いはしない。ひんやりと湿った空気が降りるのを肌に感じた彼は、信じられないように声を上げた。
「屋内に霧だと! こんな昼間に…」
「お兄様、外に出てみましょう」
言われるまでもなく、彼は妹を連れ現状を確認すべく表へと飛び出した。遠くからなにやら慌しい物音がする。既に周囲は霧に囲まれ一面が白い闇に覆われていた。すぐ近くに居るアイシャが不安そうに一帯を見回した。しかし、もうどちらから走ってきたのかも分からなくなりそうだ。自分の袖をぎゅっと握る彼女に対し、宥めるように己の剣の柄を握った。
「心配するな、アイシャ。邪悪な気配は感じん。じきに晴れるだろう」
「でも…」
彼女が再び袖を握り締めた時、遠方から誰かが駆けて来る音が聞こえてきた。2人分の足音だ。音のする方向に耳をやる。
「こっちだ、ヘパイストス」
「前言撤回じゃ、タケル。苦労しとるのはお前の部下じゃな。こんなくだらん事でこの霧を起こすとは…」
その一言に、シーアイスの表情は固くなった。どうやら、この騒ぎの犯人ではないか。言わずとも兄の元からアイシャは離れ、シーアイスは剣を抜いた。声の主である2人組はもうすぐ傍まで近づいている。
「くだらなくはない。シャツが5枚。ベストにチュニック、コート。それに代々伝わる派手な衣装の上に鎧マントと装飾品だぞ。俺を殺す気か…」
会話半ばにシーアイスの眼前に、彼は現れた。一見すると普通の少年にしか見えないが、この城を覆うほどの霧を起こす人間なのだ。
「これは貴様の魔法か?」
「お前は…そうか…」
少年はとぼけたように肩を竦めたが、隣にいるアイシャに気付き微笑んだ。そう、この状況で微笑んだのだ。その笑みに気をとられた一瞬の隙だった。
「庭園西の離れで待っている」
と、彼がシーアイスの耳元で囁いたと思うや否や首の後ろに鈍い痛みが走った。
「お兄様!」
そのまま前のめりに倒れたシーアイスに、慌ててアイシャは駆け寄った。あまりに一瞬の事で何が起こったのかわからない。
「ご愁傷様じゃ」
少年と共に居た小柄な老人が気の毒そうに呟き、そして少年を追うように走っていった。
「あの方たちは一体…」
「うぅ…」
上半身を起こして首の後ろを擦る兄の無事を確認し、安堵したアイシャは少年の駆けていった庭園の方へと目を見やった。
「霧が…」
晴れてきている。すると、廊下での慌しい喧騒の中から父、ホウンテインがこちらに向かってくるのが見えた。ひどい剣幕だ。
「こんな所で何を転がっている、シーアイス…」
呆れたホウンテインはシーアイスに手を貸し立たせた。彼はパンパンと土埃を払うと、眼鏡を正す。
「一体この騒ぎは何事です、父上?」
気を取り直した彼は父にそれを尋ねると、父の口からとんでもない答えが返ってきたのだ。
「うむ、実はな…陛下が祝賀パーティーから逃げ出された」
「なんですと!」
「えぇ!」
兄と妹はその答えに、素っ頓狂な声をあげてお互いの顔を見合わせた。2人が思い起こしていたのは、つい先ほど遭遇した少年。
もしや・・・ |
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