| 其の20 天翔る雲 |
| シーンC |
その日の空は、前日の雨が嘘のように透き通った青空だった。まだ乾かない地面にあたたかい朝陽が降り注ぎ、霞がかかっている。アレスから剣の修行を受ける事になったフィオは、彼と共にライム城の北にあるヒャダル空港に向かっていた。
今日は稽古をする気はない。
「いい物を見せてやろう」
とはアレスの言葉。彼にしては珍しく、足取りも軽い。
「なあ、アレス王。いいものって何だよ?」
「フィオは空を飛んでみたいとは思った事はないか?」
「空ぁ? 考えた事もないな」
穏やかに笑うアレスは、親指で空を示した。つられてフィオは、大空を見上げる。つい一ヶ月ほど前の事だ。城のすぐ近くに空港が建設された。しかし、見かけるのは翼竜、天馬のような騎獣ばかり。それにしては、随分と大規模なものを作ったものだと、城の兵達は首をかしげている。
城の庭園よりも広い敷地に平坦に固められた大地。遥か遠くに、小さな塔が建てられている。上空の騎獣を誘導する為の管制塔だ。そのふもとで、二人を待っているアイシャと士官達の姿があった。
「だってさ、足が地に付いてないんだろ。怖くない? それにさ、そういうの酔うんだよな、オレ」
「本当か?」
声を上げて笑うアレスに、フィオは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「何だよ、そこまで笑わなくたっていいじゃん」
「いや、実はな。俺も乗り物の類は苦手なんだ」
「マジ?」
「本当だ。船も、実は辛い」
「うちのルルカ家はライム王家の親戚なんだろ? 遺伝で酔いやすいのかな」
「関係ないんじゃないか?」
「でもさ、王様が船酔いなんてカッコ悪くない?」
フィオに見上げられたアレスが、今度は恥ずかしそうにそっぽを向く。そして話題を変えるように彼女に尋ねた。
「『レオハルト』の名前ぐらいは聞いた事があるか?」
「『レオハルト』?」
「そう。俺達の飛空艇だ。聖戦で失ってしまったけどな」
「まさか…」
「楽しみだろう? もうすぐ着く頃だ」
ちょうど言い終えた時に、遠方から地鳴りのような音が響いてきた。何だろうと再び天を見上げると、小さな雲がポツンと浮いている。
「あれは…」
次第にそれが大きくなり姿形がはっきりとすると、雲ではない事が分かった。海に浮かぶ交易船よりも巨大な白い機体が、飛空艇だと気付くのには時間がかからなかった。
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「飛空艇!」
「ああ、天翔る雲『ラピッドクラウド』だ」
耳を突き刺すような轟音に耳を塞ぎ、2人はすぐ近くに着陸した飛空艇のそばへと近付いた。空港のほぼ半分を占めた飛空艇・ラピッドクラウドから、2人の人影が降りてくる。
「げ、ジニアス」
見覚えのある2人のうちの1人は、フィオの教育係・ジニアスだった。サンタマリアのヨシュリア巫女王の下で魔術の修練に励んでいたはずだったが…帰ってきたらしい。
「姫様〜!」
フィオの顔を見つけて、ぱあぁっと上気したジニアスは彼女の元へ駆け寄ってきた。嬉し涙まで浮かべてる。
う、めんどくさいヤツが帰ってきたかも。
そんなフィオにアレスはからかうように呟いた。
「あからさまに嫌そうな顔をしているな」
「陛下〜!」
「!」
びくりと震えて、アレスが顔を向けた先にはラピッドクラウドから下りてきたもう一人、シーアイスの姿があった。
「陛下、フィオ様とまったく同じお顔をされています」
空港へ兄を迎えに来たアイシャが少し呆れたように呟く。2年前の、アレスとの謁見から、ラピッドクラウドを任されたシーアイスはライム王宮騎士団空軍長となり開発・施工・テストフライトを重ね、ついにライアスへと帰ってきたのだ。ヘパイストスの下で古代化学文明の基礎から学び、ド近眼はさらに進行してしまったせいか、眼鏡の厚みが増している。たまに城に顔を出す事もあったが、今回はラピッドクラウドの披露目と完全帰還であった。
敬愛するアレスの傍にこれからはずっと仕える事ができるのだから、大層嬉しいに違いない。と、アイシャはよかったと思う気持ちに反面、若干の不安があった。そしてすぐにもそれは的中してしまったのだ。
シーアイスの視線の先には、アレスの横に立つフィオがいる。そして、彼は誰にでも分かる不機嫌な顔をしている。
「お兄様、何をそんなに気難しいお顔をされているのですか?」
「いいか、アイシャ。お前が陛下のお気に召せばライム王妃…いや、そんな事はどうでもよいのだ。陛下が…アレス国王陛下が我が弟となられるのだぞ!」
「は、はあ?」
「お、おい。シーアイス…」
当人を目の前に、またもや暴走気味のシーアイスにアレスは苦笑いしながら一歩、後ろに身を引いた。
あ、腰が引けてる。
フィオはなんとなく、アレスの気持ちが分かった気がした。
うん、この変なヤツはジニアスに似てるかも。
「なぜにこれを許す!」
シーアイスにビッと指をさされたフィオはアレスの隣で目を丸くした。
「な、なんだ?」
「お兄様、このお方はオルトロス様のご息女、ファルシーオ=ルルカ様です」
「姫様、このお方はホウンテイン様のご子息、シーアイス様ですよ。ご挨拶をして下さい!」
「ほう、オルトロス殿の…」
「ふぅん、ホウンテインのおっさんの?」
「ひ、姫様!」
先程まで、逃げ腰だったアレスは、シーアイスの標的がフィオに変わったのを悟ったのだろう。予想もしない展開にクックックと笑いだす。そんな彼を他所に、シーアイスは僅かに眉をひそめた後、眼鏡を正して見下すようにフィオに答えた。
「やれやれ、ジニアス殿。礼儀がなっておりませぬな」
「お兄様、失礼です!」
「申し訳ございません!」
なだめるアイシャに、ひたすら頭を下げるジニアス。そして、ムッと頬を膨らませたフィオ。
一触即発の雰囲気にも関わらず、アレスはただ面白そうに4人の姿を眺めていた。
これは当分、この城も騒がしくなるかもしれない。
不謹慎かもしれないが、いささか今の生活に疲れていたところだったから。
それからしばらく口論が続いていたが、ついにブチ切れたらしいフィオは、腰に下げていた曲刀を抜いた。
「勝負だ、眼鏡のおっさん!」
「お、おっさんとは! 齢20代の私に対してなんと言う口の聞き方ですか!」
「いや、それ『かろうじて』だろ!」
「ああああ〜〜〜〜、も、も、申し訳ございませんっ!」
「いいでしょう、オルトロス様の姫君であろうと、容赦はしませんよ!」
シーアイスは不敵に笑い己の剣を抜いた。オロオロと立ち尽くすジニアスは助けを求めるようにアレスを見た、しかし彼はニッコリと笑ってこう答えたのだ。
「真剣はよした方がいい。怪我をされたら困るからな。兵舎に訓練用の木刀があっただろう。持って来い」
「ええええ〜〜〜〜!」
陛下〜〜〜〜っ、あんまりです!
ジニアスは半泣き状態で、駆けて行った。止めはしないのだ、アレスは!
だとしたら、お二方のお父上にすがる他ない。
アイシャはそんなジニアスを気の毒に思いながらも…
「でも、走っていく方向は兵舎ではありませんね」
「ああ、大方オルトロス達でも呼びに行ったんだろう」
「よいのですか?」
「仕方ないさ。2人とも相当な使い手だから、加減してやるだろう」
「ですから、そういう事ではなくて…」
といいかけた所で、アイシャはアレスが己の剣に手を掛けているのに気がついた。
いざとなれば止める自信があるのだろう。
ならば、この勝負の行方見届けましょう。
シーアイスとフィオは対峙して剣を構えている。
互いに動き出す気配はない。
シーアイスは、アレスの傍らにはアイシャが居るものと信じて疑わなかった。しかしライアスへと帰ってきた彼が目にしたのは、この子供。
なにやら楽しそうに話をしていた。そして次に見せたアレスの表情に魅入られてしまったのだ。声を上げて笑っていた彼に。
シーアイスにも、そしてアイシャにも、彼はそんな表情を見せた事はないと思う。彼が心に暗い何かを抱えているのには2人は気付いていたが、それを忘れさせるような事はできなかった。彼が笑う時はどこか寂しそうに笑う。彼が語る時はどこか遠くを見ている。そして、聖戦を思い起こす時は酷く切ない顔をする。
目の前の子供は、姫と呼ぶには程遠い、城下町で走り回っていそうな平凡な子供だ。大体あって間もないはずの姫がどうしてあんなにも、陛下と親しげなのか?
彼とて、ライムの王宮騎士である。そして代々騎士団長を務めるクリアブレイド家の嫡男。剣の腕には自信がある。しかし、目の前の子供。子供の癖に、隙がない。なかなかの腕の持ち主だが、それが陛下のお気に召したとは思えない。
ならば、まずは仕掛けてみるか。
「はぁっ!」
気合と共に、避けてくるのを想定して一撃目を斬った。しかし、フィオはそれを受ける。
「力負けしますよ、まだお子様なのですから」
「うるさい、逃げたって面白くないだろ」
フィオは刀を倒してシーアイスの剣を流すと、横に跳んだ。やや間合いを取って、再び隙を窺う。そんな彼女に対し、シーアイスは少しずつ間合いを詰めていく。
「さて、次は本気で行きますか」
「マジでやるとお互い怪我するよ。アイシャも居るしね。心配させたくないんだ」
アイシャの名前が出て、彼女とシーアイスが驚いた一瞬だった。
不意を付いて切りかかってきたのかと思いきや、剣を捨てたフィオの姿を最後に彼の視界が急にぼやけた。
「へっへっへ〜、いただき〜!」
「へ?」
地にはフィオの剣が転がっている。彼女は剣を構えているのでなく、シーアイスの眼鏡を手で玩んでいた。
「め、眼鏡がない!」
「お、お兄様?」
さっぱり見えないらしい。目元に手をやり、キョロキョロと辺りを見回した後に、自分の眼鏡がフィオに奪われた事を察したらしく、彼女の声のする方に突進してきた。
「わっ!」
「卑怯者め、返しなさい!」
「やだね、べ〜っだ!」
「くぅ!」
フィオを追いかけてシーアイスは走るが、クルリと避けた彼女に気付かず、ラピッドクラウドの整備車につまずいて顔面から転んでしまった。その2人の様子に、アレスは腹を抱えて笑っている。
「おのれ〜〜〜〜!」
「あっはっは〜、妙に厚い眼鏡だから変だなぁって思ったんだけど。あ、でもこれじゃおっさん、結局転んで怪我するな〜!」
「陛下の前で恥をかかせるとは許さん! 『六元の碧…清らかなる水よ。我が意思により、極冷の吹雪となれ…』」
古代語魔法の詠唱だ。
「マジ?」
「お、お兄様!」
気付いたアイシャが止めようとしたが、時既に遅く。
「『アイススマッシュ』!」
標的も定かでない魔法は、ラピッドクラウドの右翼基部へと向けられ、旗艦披露式典を迎えるはずだったライム城に、ありえない爆音が響いたのだった。
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「お前というヤツは、帰国早々何という失態!」
「よりにもよって陛下をも巻き込んで…胃に穴が開くわ。お前はわしを殺す気か〜!」
管制塔の一室で、シーアイスとフィオはお互いの父に、もう1時間以上も説教を受けている。その2人の横で、やはりアイシャとジニアスが「申し訳ございません」と、当人の如く頭を下げていた。
「まあまあ、いいじゃないか。ホウンテイン、オルトロス。幸い損傷はサブエンジンにとどまった事だし、披露式典は延期になったが、みな怪我もなかった事だし…」
「陛下!」
ホウンテインとオルトロスは同時にアレスを戒めた。
「それは陛下が防護魔法を…『Blue Field』を使われたからです」
「陛下はご自身のお立場というものをご理解していない。陛下は絶対無二のお方なのですぞ!」
彼らが真摯な表情でアレスを見据えた。誰もが言葉を失い、アレスへと顔を向ける。
皆が心配しているのだ、アレスは素直に詫びた。
「ああ、すまなかった。だがな、2人とも最後の言葉だけは違う。絶対無二なのは俺に限らない。お前達だってそうなんだ、1人だって欠けては困る」
そうして、アレスはバルコニーに背をもたれた。目の前に立つホウンテインとオルトロス。そしてシーアイス、フィオ、アイシャとジニアス。聖戦が終わり、自分の傍に居てくれる6人の友に向かい頭を下げたのだ。
「ありがとう」
「へ、陛下!」
「久しぶりに楽しかったんだ。これからはこんな時間がすごせるかな」
まさに青天の霹靂だった。皆が尊ぶアレスに頭を下げられて一様に目を白黒させてたが、彼はただ穏やかに笑い、眼下に泊まるラピッドクラウドを見つめていた。
ライム暦2010年。こうしてライム旗艦・ラピッドクラウドが完成した。
フィオが旅立つ3年後まで、ライム城にシーアイスとフィオの喧騒と、ホウンテインとオルトロスの小言が絶える事はなかったというが、彼らの笑いもまた絶える事がなかったという。
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| To be continued… |
| LEGEND =Questers= |
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