其の21 薄幸の魔術師
シーンB
 テーベからアブシンベルへ、サハラ砂漠を縦断する鉄道にジニアスは乗車した。フィオは聖戦でアレスが世界を廻った旅路を辿っている。テーベのクエストギルド員から聞いた話では、グリンと会うためにメンフィスへ向かっているようだ。絶滅寸前と言われる妖精を連れたパーティーは、やはり目立つのか立ち寄る町々で冒険者達の話題に上っている。「聖戦の真なる英雄譚を謳う」ことを目的とした4人組の冒険者。今はエルフの女性が1人加わり5人だというが。
 フィオが外界へ旅立つ事を夢見ていた理由をジニアスは思い出した。これは彼女の父オルトロスも知らぬ事だ。
 あれは10年ほど前。ジニアスの母シーナが病でこの世を去ったあの日、フィオはルルカ家を飛び出した。生まれてからずっと、彼女の母代わりを務めていたシーナが亡くなったのだ。それまでオルトロスから魔王と魔将の恐ろしさを聞かされていたフィオは、決して独りで家を出ようとはしなかったというのに。
「サンタマリアの巫女王さまならシーナを助けてくれると思った」
 隣町で発見された彼女はそう告白した。つまり死という概念を、まだ幼い彼女には理解できなかったらしい。彼女を動かしたものはシーナへの想いであったが、恐らく今回は違う。
 その日、家に戻って来た彼女の瞳はキラキラと輝いていた。オルトロスに厳重に叱られたはずであるのに、楽しそうに笑っていた。
「どうなさいました、姫様?」
「ジニアス、オレ…強くなろうと思う」
「お…『オレ』?」
「うん」
 突然、フィオは自分を「オレ」と呼んだ。あまりの言葉に面食らうジニアスに対し、フィオはニッコリと微笑んで返した。
「シーナはもういない。でもさ、ウジウジしてても仕方ないんだ。そんなんじゃ、アイツに笑われちゃう」
「アイツ?」
「オレを助けてくれた奴。すっごく強い戦士。まだ大人じゃないのに…すっごく強いんだ!」
 フィオの興奮してまとまらない話を正すと、どうやら魔将に襲われた所を恩人に救われたらしい。その少年戦士にフィオはすっかり憧れてしまって、まずは口調から彼を真似たというところか。
「厄介な事になりました」
 ジニアスは眩暈を覚えこめかみを押さえた。
「オルトロス様がどんなに嘆かれるでしょう」
 ところが口調ばかりではなく、翌日からはどこからか入手した玩具の剣を振り回し始めた。いよいよドレスもスカートも煩わしいと乳母の目を盗み、野原で駆ける子供のような出で立ちのまま広場に出かけ、街の自警団に混じり訓練用の木刀を手にするようになった。
 教育係を任せられているジニアスは、フィオのその姿を見かけるたびに大慌てで連れ戻すが、当のオルトロスは小言を言うだけで強く注意しない。公式の場で無礼を働いた際には、厳しく叱り付けるが、親子とジニアス三人きりのサンタマリアでの生活では剣を振るフィオを咎める事はなかった。魔術師団長の娘であるにも拘らず、魔法がからっきしなのには頭を悩ませていたが…




「娘に甘いと言えばそこまでになりますね」
 流れる砂漠の景色を車窓から眺めながら、ジニアスは無意識に一言漏らした。
「どうされました?」
 ふと、声をかけられた。
 向かい合う座席に1人の女性が座った。長い耳を持つ群青の髪の女性。エルフのようだ。
「こちら空いていますか?」
「え、ええ。どうぞ」
 人懐っこい笑顔を浮かべるエルフの女性はリップと名乗った。鞄から水筒を取り出して茶を注ぐ。心地よく甘いにおいがジニアスの鼻を誘った。
「よかったら一緒に飲みませんか? ストロベリーティーです」
「あ、ああ。ありがとうございます!」
 出された茶を一口含んだ。渇いたのどが一瞬にして潤う。そんな様子を見守りながらリップはクスクスと笑った。続けて鞄から小さな包みを取り出す。中から出てきたのはまた甘いにおいを漂わすクッキーだった。手作りで焼いたものなのだろう。
「とても美味しいお茶を淹れてくれる友達がいましてね。私がクッキーを焼いて、こうやっておしゃべりをしながら楽しい時間を過ごしました」
「そのご友人は?」
「今、彼女はライアスに居ます。もう1人は旅芸人をしているから、今はどこに居るのか…」
 少し寂しそうな表情を見せた。励ますように、クッキーを頬張りながら腕を組んでジニアスは応える。
「これほど美味しいクッキーを食せないなんて。ご友人も今頃残念がっているでしょうよ」
「まあ、お上手ですね」
「いえいえ、本当の事です」
「そういえば、ジニアスさん。何か悩んでいらっしゃるようでしたが?」
「ああ、よくぞ聞いてくださいました!」
 ジニアスは袂から一枚の小さな肖像画を取り出した。そこには正装をまとったフィオの姿が描かれている。一見すると、あの剣士姿のフィオとは判別し難い。それにも拘らず、この肖像画を持ち歩いているのは、彼の愛ゆえか?
「綺麗なお方ですね…」
「そうでしょう、あのライムの双璧…魔術師団長オルトロス=ルルカ様のご令嬢…」
 といいかけた所で、視界が暗くなった。目蓋が重い…、なぜだろう。抗う事が出来ず、上半身を倒す先が座席の上である事を確認して、意識が落ちた。
「ごめんなさい…」
 目の前でスヤスヤと寝息を立てるジニアスを見下ろして、リップは小さく溜め息をついた。
「兄さんが言う通りにしたけれど…本当にこれでよかったのかしら?」
 リップは床に落ちた肖像画を拾い、眠るジニアスの胸元に置いた。リップ、フルネームはリップ=フットノート。婚前の旧姓はリップ=アザーホーク。あのジュウジュ=アザーホークの妹である。
「お姫様を心配する召使っていうよりは、まるで妹を心配するお兄さんみたいね」
 昔、自分につきっきりだったジュウジュの姿を思い出した。今では兄妹、ライムとシャヌーン。国を離れ生活している。幼馴染のペンソと結婚してから、ジュウジュは昔ほどに自分には構わなくなった。もっとも、ライアスでライム国王・アレスに仕える彼であるから多忙であるに間違いない。彼の傍で共に働いている件の友人サルサから話は聞いている。そんな彼が久しぶりにこちらに便りをよこしてきた。内容はこうだ。
「ファルシーオ=ルルカへ向けられる追っ手を全力で阻止せよ」
 これはシャヌーンの冒険者ギルド「グリーンウッド」全てに渡った通達である。
「ごめんなさい、ジニアスさん。どうやらあなたは、大変な人を敵に回してしまったみたい」
 リップは車両の乗客へと顔を移した。その全員がコクリと頷く。
「とにかく足止めを。危害を及ぼす事はしてはいけないわ」
 これは十分に危害というものではないかとそう思いながらも、リップは小さく笑って舌を出した。

「悪夢です…」
 ようやくメンフィスへと着いた彼は、よろめきながら街の冒険者ギルドへと向かった。
 汽車から降りる事が出来なかった。駅に近付くと、なぜか眠っていた。おまけに駅員に教えられた汽車は特急で、フィオが立ち寄ったというギゼには止まらない。慌てて折り返しの汽車に乗った所、やはり眠くなり起きてみたらテーベへ戻っていた。それが何者かの妨害による物だと彼は気付きもしなかった。不幸中の幸いか、寝ている間に自分の手荷物は荒らされていない。
「人探しはグリーンウッドに頼るしかありません」
 そのグリーンウッドに全力で妨害されている事にも、勿論彼は気付いて居ない。グリーンウッドの看板が見えてきた所で、ジニアスの足は自然に速くなる。
「姫様あああっっっ〜〜〜、んああ〜あ…!」
 勢いよくギルドの扉を開けたものの、中に居たのは男2人だと分かりジニアスはつんのめってその場でコケた。
「お、珍しッ。客だな」
 男の1人が面白そうに倒れるジニアスを見下ろす。聞き覚えのあるその声に、ジニアスは起き上がり必死の形相で男の腕にしがみついた。
「おい、俺様は男に迫られる覚えはねえぞ!」
「グリン様ぁ〜、お忘れですか! ジニアスですぅ。アレス陛下の元でお会いしたではありませんかぁ〜」
 グリンと呼ばれたその男、シャヌーンの統治者・レインであるグリン=シャン=フォレストだ。このライムランドで知らない者など居ない。
 2009年、冒険者法が施行されるその日にライアスで三帝と呼ばれる3人のレインが集った。アレス、そしてサンタマリアの統治者・レインであるヨシュリア、そしてグリンだ。異国のレイン2人の接待を任されたのがルルカ家の人間であり、主に動いていたのがジニアスだった。
「あぁ〜、あのルルカ家の…。ヨシュアに拉致られて行ったんじゃないのか?」
 その時、ヨシュリアはジニアスの才能を見抜き、彼はフィオと共に魔術の修行をするためロンシャン城へ入城する事になった。実はこの際、フィオはラピッドクラウドから逃げ出し、結果ジニアスだけが憐れ城へと連れて行かれたのだ。
「そんな、とっくに帰ってきましたよ! 姫様は…うちの姫様はご存知ありませんかぁ〜ッ!」
「?」
 グリンはカウンターに立つダイスと顔を見合わせた。グリンが彼の親友であるアレスから聞いていた話はこうだ。
「裁きを求める人間を決めた」
 それがどんな人間であるか、グリンも見定めて構わない。しかし助力と関与は極力避けて欲しい。
 アレスからはただそれだけを聞かされていた。その中心である人間が少女である事に一抹の不安を覚えた。
 また繰り返すんじゃねえか?
 聖戦を思い出す。ルラと一度別れた際に、アレスはシュスフィーナという1人の少女に会った。外見がルラに似ていた事もそうだが、彼女がアレスに好意を寄せた事でアレスはフィーナをルラと錯覚した。結果としてそれが彼女の死を招いた。それはもう、遠い昔の話だが…今でも思い出せば辛い。フィーナはヨシュアの残された唯一の従妹だっただけに。
 グリンがフィオと出会ったのは一昨日の事だ。彼女を見たグリンはルラとは違うと確信した。いや、むしろ似ているのはアレス自身にあると。
 あいつが幸せに育っていれば、あんな風になっていたかもしれないな。
 グリンは思い出して笑う。まだ幼い、面白い少女だった。年はちょうど十三。偶然にも聖戦でアレスが旅立った年と同じ。だがまとう雰囲気は、聖戦当時のアレスとは大いに異なる。明るく、そして前向きな剣士。ルルカ家はライム王家の遠縁であると聞いていたし、フィオの外見もアレスと僅かに似ているが、何よりも一途な空の瞳。あの時レインという使命に生きたアレスの青い瞳に似ている。
 そのフィオはアレスの導きで聖戦の旅路を辿るのだ。次の目的地は予想がつく。
「ああ。昨日ファンジームへ船で向かったぜぃ。今、あの海域に魔将が出るらしいからなぁ…当分船は出ねえぞぃ〜〜〜カッカッカ〜」
「えぇえぇえぇえぇ〜〜〜〜!」
 目の前で頭を抱えるジニアスは、一息おいた後に出口に向かって走り出した。
「姫様ぁぁぁぁ〜〜〜〜ッッッッ!」
 バタンと乱暴に扉が閉じる。あんぐりと口を開けたまま呆然とその姿を見送ったカウンターに立つ少年ダイスは、呆れたように呟いた。
「だから…船は出ないって言ったのに…どうするつもりなんだ?」
「泳いででも行くかな?」
「んな無茶な!」
「でもよ、ジュウジュの指令どおり足止めできたからいいんじゃねえの」
「まったく、ジュウジュの兄貴も何考えてるんだか…」
 そう言って、ダイスはカウンターの下に潜ませていた紙を手に取った。
「以下の者、全力で妨害。ジニアス=ジスタッフ、他ファルシーオ=ルルカを除くルルカ家の関係者」
 ご丁寧にジニアスの似顔絵まで記されていた。
「ジュウジュに礼を言わなきゃな。タケルの面倒をきちっと見てくれてるみてえだ」
「タケルってアレス国王の? 面倒を見るって…これが?」
 ダイスは首を捻って紙を覗き込む。
 フィオは船でファンジームへと向かう。ファンジームにはグリーンウッドの仲間は居るが、海上は管轄外だ。グリーンウッドは管轄外ではあるが、彼らが居る。
「じゃあ、俺も一肌脱ぐかな」
「ダイス?」
 ダイスはニヤリと笑って、紙とペンを取り出した。
 旧友へ、とある手紙を書くために…

 母シーナは穏やかな人だった。ルルカ家の雑用を一手に引き受け、他に使用人が居るにも拘らず、三食の食事は必ず彼女の手で調理された。その忙しい様子を、ジニアスをはじめとする他の者に見せる事もなく、黙々と働いていた。食卓では、オルトロスとフィオに加えてシーナ、ジニアスも同席に座り共に母の手料理を食べた。シーナとジニアスはルルカ家に仕える人間であるが、それはさながらごく一般の家庭と変わらない家族の団欒のようだったと思う。
 母がまだ元気であった頃、言葉を覚えて好奇心溢れるフィオは小さな手の平をめいいっぱいに広げてシーナに告げた。
「ジニアスに教えてもらったの。親指はお父さん指だって。これは父さまだね」
 フィオは親指を立てる。
「お兄さん指はジニアス、お姉さん指はシーナなの。このちっちゃい小指はフィオ!」
「まあ、姫様。シーナはお姉さんですか?」
 シーナは嬉しそうに笑った。幼い子供なりに気遣ってくれたのか、微笑ましい話だとジニアスは喜んで口を出そうとしたが、次の一言でそれが間違いである事に気付いた。
「人差し指はお母さん指。母さまは居ない…」
 寂しそうにフィオは小さな人差し指を立てる。

 ジニアスは昔話を思い出しながら、海面を眺めた。
 雲行きはよくない。
「悪夢です…」
 ポツポツと雨が降り出したが、それもお構いなしに昔話に浸っていた。母シーナは最後まで真実を告げずにこの世を去ったのだ。
「あれはわしが墓まで持っていく」
 とはオルトロスの言葉だ。家を守ろうとするその一言には彼の堅固たる決意がある。ルルカ家に仕える「杖」であるジスタッフ家は主君の意に忠実であらねばならない。
「オルトロス様…私は…」
 ジニアスは人差し指を立てる。フィラデルフィア=ルナル。幼い頃の微かな記憶の中にある女性の姿を思い起こす。フィオによく似た美しく聡明で、意志の強い女性だった。
「フィア様、お二人で決められたことであるならば、私はその意志に従うまでです。けれど…」
 海面が揺れ、船が大きく傾いた。波が甲板を襲う。
「ええ!」
 すっかり自分の世界に浸っていたジニアスは、嵐に飲み込まれようとする船の惨状に唖然とした。
「何をやってるんだ、あんたは!」
 揺れる船の縁に捕まり、波に攫われそうになるジニアスを大柄な男が支える。白い鉢巻をした精悍な男だ。
「ああ、ありがとうございます!」
「こんな所でぼさっとするな。乗客はとっとと船室へ…」
 と言いかけた矢先だった。まだ人差し指を立てているジニアスの背後から巨大な影が落ちた。
「テト!」
 男が大きな声を上げる。ジニアスが振り向き見上げると、そこには巨大な化け物が頭をもたげてきた。
「ひいいいぃぃぃッ!」
「おい、あんた!」
 驚いたジニアスは、男の腕を掴む手が緩む。その一瞬の間に、船はまた大きく傾いた。
「うあああぁぁぁぁ〜〜〜〜!」
 悲鳴を上げたジニアスは波に飲み込まれる。
「おい、あんた!」
 波間に沈むジニアスの体を、男は必死に追った。同時にテトと呼ばれた巨大な海亀も海中へと沈んでいく。
「ジェナード、どうする?」
 乗員の1人がロープの付いた浮き輪をもって男の傍へと駆けつけてきた。男、ジェナードは未だに海面を追う。荒れる海は陸の魔将よりも恐ろしい。海賊であった彼は重々それを心得ている。戦友ダイスから頼まれごとをしていた。
「ジニアスという魔術師の男を足止めして欲しい」
 それはあくまで「足止め」であったわけで、海に突き落とすつもりは毛頭なかったのだ。ただ海路をずらして予定よりも数日遅くファンジームへ入港するつもりだった。
「参ったな…」
 殺すつもりはなかったのに。罪の意識を感じた次の瞬間、遠く海面に巨大な影が浮上した。テトだ。
「まさか…」
 その甲羅の上に小さな青い影がある。ジニアスだ。あの人馴れした大亀は、ジニアスを助けたようだ。しかし、船に近付く気配はない。おそらく嵐から離れようとしているのだろう。みるみるその姿が小さくなっていく。その方向を確認して、ジェナードは安堵の息をついた。シャヌーンの陸地に向かっているに違いない。
「自由海軍に通達しろ。1人冒険者が海に投げ出された。メンフィス南南東沖約10km地点。名前はジニアス=ジスタッフ。そのままメンフィス周辺の海岸に流れ着くと思われる。…とな」
 ジェナードはすっかりテトの姿が見えなくなったシャヌーンの海を眺めた。結果として「足止め」になったか?
 雨が少しずつ弱くなってきた。そんな空を見上げてジェナードは呟いた。
「彼らの旅にはレインの意思が働いている。同じ様に俺達レオハルトの意思も動くか、シーザー?」